謎の焦燥感part2

 元気になったら更新するなどと言っておいて、早々に更新してしまいました。だってブログは思考の整理に役立つからね。今も元気がない訳では無いけれど、悶々としているのは事実。私は常に悶々としているな。我ながら面倒な性格だと思います。もっとカラッと明るくいきたいねー。明日は合羽橋へ行く予定だから少し楽しみ。日常に楽しみを見出ださないとやってられまへん。今週は合羽橋に上野にと少しだけ忙しいです。はー、働きたくないような働きたいような。自分でもよく分かりません。生きている実感を得るには働いてみた方が手っ取り早いのかしら。入院してからまだ一年経っていないので、焦らなくても良いかな。いや、自分に甘いですね。本当にテヘペロです。(天竺鼠 川原のネタ)

 人生に迷い始めてから早三年が経ちましたが、皆さんいかがお過ごしですか。私は働くとなると過度に気負ってしまうので、気楽にアルバイトから始めてみようと思います🔰迷いは消えないけれど、人との繋がりも必要だし、外へ出てみようと思っています☆内に内に籠るのではなく、外に目を向けてみよう。その方がきっと楽しいゾ。今年の抱負は「精神の衛生を図る」に決まりですね。テヘペロ。 


謎の焦燥感

 最近謎の焦燥感に囚われて、何かしなくちゃ!と焦るは良いものの結局何も出来ずに落ち込む、という日々が続いています。地味につらい。人間何かしていなければならないという思い込みを捨て、なにもしていない現状を受け入れてこそ、初めて本当の自由が得られるのではないかと思います。誰かに強要されたわけではないのですが、現状に焦りまくっているのもまた事実。「働く」ということについて25歳なりに真剣に考えています。しかし考えすぎて一歩がなかなか踏み出せない。

 もう25歳なんだから、歩むべき方向をきちんと考えないとかなりヤバい。私は成人式にも出ておらず、写真だけで済ましたクチなので、あまり二十歳の実感などを感じずにここまで来た気がします。二十歳は嵐のように過ぎ去ったけれど、25歳の今は「もう25歳」という重い実感があります。さすがにこのままじゃいけない。焦りだけが募ります。このままじゃいけないことは分かっているんだけど、次の一手がなかなか定まらないといったところでしょうか。次の一手がなんとか決まって、また元気になったらその時にブログを更新したいと思います。今の状態じゃ鬱々とした内容になること必至。そんなの読んでも誰も嬉しくないですよね。ま、私のブログなので好きなことを書けば良いのでしょうが、なかなかね。難しいですね。皆がハッピーになるようなブログを書くためにも今が踏ん張り時。この焦燥感はちとつらい。内職でもやって社会の一員であるという意識を持ちたい。私ははぐれもの歴が少し長いので、社会の本流に辿り着きたいなー。はぐれものはメンタルが持ちません!いや、一回はぐれたんだからここは思いきってはぐれものとして堂々と生きてやる!というのも手ですね。そうだよ。社会の本流に辿り着きたいという浅はかな願いが、幸せ感じ上手への道を閉ざしているとも言えます。幸せ感じ上手とは父の上司から教わったのですが、些細なことにも喜びを見つけ、幸せを感じやすくする感性を育てるという意味だそうです。私は幸せ感じ上手からは程遠いところにいましたわ。幸せ感じ上手、見習いたいです。目を凝らせば至るところに幸せは転がっているはず。それを感じ取れるだけの感性を鈍らせていてはダメですね。常にアンテナを張っていないとね。私は私のペースで歩いていくしかない。少しスタートが遅くなったけど、なんとか歩いていきたいです☆

歯が痛いよー!

 嗚呼、Facebook始めてから歯が痛くなってきたよ。やっぱりストレス源なのかな。自分から人と繋がりたくて始めたけど、今はLINEもあるし、繋がろうと思えばいくらでも繋がれますもんね。宇多田ヒカル小田和正の名コラボが観られるクリスマスの約束2016に癒されるしかない。 

 この歯の違和感、暫く収まっていたのにな~。また再燃してしまいました。下前歯がじんじんする。泣きたい。私にも承認欲求があって、誰かに認めて欲しいという思いがあるのかな。だからFacebookを始めたのかも知れません。私はここにいるよって誰かに伝えたくて。哀しいね。始めたばかりで相手のタイムラインに友達承認ありがとうと書き込んでいたのですが、Facebookについて調べているとそれはご法度らしいです。お誕生日おめでとう!とかのお祝いメッセージは多くの人の目に触れたら嬉しいので、じゃんじゃん書き込めば良いらしいのですが、承認ありがとうはメッセージで送れば良いとのこと。そんなもん知るか!だってFacebookが相手のタイムラインに書き込みましょうと誘導してくるんですよ!?やられた。Facebook初心者にはよく分からんルールが多数存在するんですね。

 Facebookごときで歯が痛くなる柔いメンタルな私が果たして会社員として働くことが出来るのか。期待と不安が入り交じるけれど、やってみようかな。社会復帰へ向けて前向きに検討中です☆ 発言小町で「待ってばかりの人生、何が楽しいの?」という辛辣なコメントに心を動かされ、Facebookを始めてみました。取り敢えず新しいことに挑戦した、ということで自分を褒めてあげたいと思います。やらないでグチグチ言うより、やってグチグチ言った方がまだカッコいいよね。下前歯が痛いけど頑張って生きるぞ。止まってばかりじゃいられないから。もう十分休息したし、ゴソゴソと動き始めようかな。不安が大きいけれど、にゃんとかなるでしょう🐱私は新しいことへの不安が強いので、これから生きていけるかが不安ですが、そろそろ独り立ちの時期かなと思っているのもまた事実。もう25歳。節目の年になる予感満載。自分で未来を切り開く一年にしたいと思っています。やれば出来るもん!(多分)でもそうやって自分を追い込みすぎないようにするのも大切ですよね。私は自分で自分を苦しめる癖があるので注意が必要。

 もう25歳か。早いですね。母校に凱旋するにはまだ早いな。ま、まずは自分に自信を付けてからですね。お世話になった先生が亡くなったという話も聞いているので無視するわけにも行かず。いつかお花でも持ってふらりと立ち寄ろうかと思案中です。そう思ってもう7年も経ってしまいました。私の人生の指南書『明日この世を去るとしても今日の花に水をあげなさい』的に生きようとすると、今すぐにでも母校に行くことが正解なのですが、今の自分に自信を持てないのでなかなかそういうわけにも行かず。私は弱った姿を相手に見られたくないんですよね。元気で朗らかな姿を皆さんの目に焼き付けて欲しいんです。だから参っている姿を見せるわけにはいかない。歯が痛いとかグチグチ言わないぞ。痛いけど。歯の痛みと共に生きるという姿勢が大切なんだそうです。歯科心身症はその人の人生観なども大きく関係しているらしく、ジャマイカ人間を目指すことが治癒に繋がるそうです。ジャマイカ人間とは、何事にもじゃ、まーいいか。と思える心を持つ人のことを指すそうです。こうでなければならない、という思い込みを捨て、何事にも執着せず、じゃ、まーいいかと大局的に物事を考えられる人を目指したいと思います。人生観、死生観が大きく影響する歯科心身症。先生、私みたいな患者に出くわしてビックリしたと思うけど、良い研究材料だと思って見捨てないでね。(重い)とにかく目下の課題はジャマイカ人間になることです。皆さんもジャマイカ人間を目指して気楽に生きましょう。ではではこの辺で☆

我が心の富士山

f:id:chiicham:20180109152039j:image

昨年の年末、西湖いやしの郷 根場(ねんば)にて富士山を拝みました。空気が澄んでいて最高。こちらで山梨名物ほうとうを頂きました。優しい味でほっこり。良き旅となりました。富士山は偉大なり。

Fight The Blues.

 昨日は七草粥を食べて胃を休めました。お正月の食べ過ぎで疲れた胃を労れた気がします。そうそう、元旦からFacebookを始めたのですが、友達が増えない。やっぱり自分から申請しないとダメなんだろうな~。今は友達限定で記事を更新しているのですが、それなら見る人があまりにも少ないので、公開範囲を全ての人対象にしようか、などと思案中です。って誰が興味あんねん!

 始めたは良いものの、早速面倒になってしまった。いいね!も付かないし。別にいいね!が欲しくて書いているわけではないのでそれは良いのですが、とにかく友達を増やさなければ。ここは自分からどんどんイケイケゴーゴーしないと無理めだと思い知らされました。つ、つらい。でも申請して承認されなかったら死んでしまうほど辛いので、もう少し今のスタンスで様子を見てみます。 1月限定で辞めるかも知れないしね。とにかくお試し感覚で気楽に楽しみたいと思います。私は小さいことを気に病むので、SNSには向いていないのかも。フェイストゥーフェイスを大事にした方が良いのかも知れません。依存しないためにログアウトしているのですが、ちょいちょい気になってログインしてしまうんですよねー。SNSに振り回されないようにしないとね。ま、ちょいちょいログインは良いとして、友達申請が目下の課題ですね。なかなか「友達になる」ボタンを押せないよー。大丈夫、死ぬわけじゃないんだから。そう考えると友達600人とか凄すぎるでしょ。そこは目指さなくても良いけど、もう少し活性化させたいと願うのも事実であります。自分から勇気を振り絞って申請するか。待っていても何も変わらないよね。何事も行動を起こさない方がリスクと言われている現代で、常に待ちの姿勢の女がここにいます。この姿勢がいけないんだろうな。常に攻めの姿勢の人に憧れます。私は常に守りだから。守ってばかりじゃ面白くない!人生攻めていこうぜ。という訳でここらで締めたいと思います。2018年の抱負は「人生を攻める」に決まりですね♪

金じゃ買えない目には見えない答えはメンタルタフネス~♪by 宇多田ヒカル

あけましておめでとうございます☆

 カモン2018!グッバイ2017!

 昨年は病を患ったりと何かと辛い一年だったので、今年は良い年にしたいという強い思いがあります。思いが強すぎて空回りしたら元も子もないけどね。今年は変化の年になるのかしら。私は今無職なので、なんにもないんです。人とのしがらみがないので、それが逆に寂しくもあります。だから思いきってFacebookに登録してみたり、何かしらの変化を期待して動き出しています。でもFacebookも自分から友達申請しないとどうにもならない予感が。に、苦手だ~。自分からアクションを起こすとなると、途端に億劫になってしまいます。臆病者め!まずはこの性格から治さないとねー。ムムム。

 それにしても無職の拠り所のなさは異常です。って求職活動も何もしていないのに言うのもなんですが。私は働くことも出来るし、働かずに今のままでいることも出来る。でも今の高等YOU民の生活に後ろめたさを感じているのも事実。私はどの道を選べば良いのか分からずにいます。父上からは大学院に行って学び直すのもありとの提案もありました。選択肢は無数に存在しています。だから余計迷ってしまうというのもまた然り。私はいつも迷っているんですよね。大学の時のゼミの先生に、いつも迷っているところが私の長所だと言われた日を思い出します。自分では全く良いとは思えないのですが、そう言ってくれる人がいるのは有り難いですね。でも常に迷っていて良いことなんてひとつも無い気がしますが。

 だって常に迷っているんですよ。人より歩むのも遅いし、ノロノロしているんですよ!この常に迷っている性格のせいかシューカツも挫折するし、本当に良いこと無しですわ。シューカツの挫折から私の人生はコロコロと転がり落ちた気がします。新年早々暗い話ばかりですみません。小中高大と大した挫折を経験していなかったせいか、シューカツでの失敗は大きな心の傷になりました。もう三年も経つのにね。いや、まだ三年かな。この傷は一生癒えない気がします。この痛みとともに生きていくしか方法は無い気もしています。後は時間が解決してくれることを期待するしかありません。

 とにかく2018年は迷いを封じて、素直に面白そう!と心がときめくことに挑戦する年にしたいです。迷ってばかりじゃ進めませんからね。いくつか候補はあるのですが、初めの一歩がなかなか踏み出せない。行け!私!恐れるものは何もないのだから。そうです。私は何を恐れているのでしょう。動けば何かしらの道は見えてくる筈。それを動きもしないでただ悶々としているのが今の私。この悶々とした生きづらさを抱えて生きるのもなかなか辛い。だから私は少しずつ自分が生き易いように、人生観をチェンジしていきたいです。全ては自分のために。それでは良い一年を☆

『熱狂』

「さよならアドルフ」

・「ハンナアーレント


・「BS世界のドキュメンタリー 囚人番号   A26188 ホロコーストを生き延びて」

・「BS世界のドキュメンタリー ヒトラー・チルドレン〜ナチスの罪を背負って〜」 


 今日は東京芸術劇場で劇団チョコレートケーキによる舞台を観劇しました。上記に挙げた五作品を予習として観てから参戦。HDDの奥底に眠っていたヒトラー関連の映画やドキュメンタリーにより、準備はバッチリです。さあ、いざ観劇!アドルフ・ヒトラー率いるナチスがいかにして国民を魅了し、政権を取ったかまでを巡るストーリーです。映画「さよならアドルフ」ではナチスの高官として働いていた父を持つ子ども達に待ち受ける、過酷な運命が描かれていたので、そちら側の視点から観るとまた面白く感じられました。やはり予習は大事ですね。予習し過ぎて疲れてしまった面も否めませんが 。ヒトラーの秘書を勤めた後にアウシュビッツ初代所長のルドルフ・ヘスの孫がアウシュビッツを訪れるドキュメンタリーを観たので、ナチス側の家族たちが抱く生きづらさにも向き合うことになりました。舞台では勿論そんなことは描かれません。ヒトラーがいかにしてドイツ民族の誇りを叫び、国民を高揚させたかが丁寧に描かれるのみです。やはり予習によって理解が深まった気がします。簡単には語ることができないナチス・ドイツの歴史。その一端を観られた機会を大切にしなければと思った次第です。演劇では後に待ち受ける、ナチスによる残虐行為は一切描かれません。ナチスが駆り立てた国民の高揚によって、忌まわしい歴史は作り出されたかのようにも思えました。この辺りは詳しくないので言及は避けますが、大衆の恐ろしさを目撃したことは確かです。私たち大衆をいかにして操作するのか。そしてそれをいかにして拒むのか。いや、拒めるのか。私たちは自分の胸に手を当てて今一度考える必要がありそうです。