楽しみは少しずつ

 また寝そびれたぜ、というわけでこんばんは。すっかり夜が更けてしまいましたな。ブヒブヒ怒り狂うのはもう止めよう。ディグラム診断という性格診断にて、遠野なぎこと同じ激昂型と診断された私。一時期テレビで流行りましたよね、ディグラム診断。「遠野なぎこかー。参ったなあ!」なんて笑っていましたが、実はかなりヤバい気がする。

 よかった、ウィバースショップで買い物をしたことがなくて。よかった、ウィバースに登録さえしていなくて。買収された瞬間から距離を置いていてよかったー。今ネットを見ていたら、ウィバースショップの醜聞を目にしました。なんとなくは分かっていたけど、よかった、関わったことがなくて。

 余りの不誠実さに私の中の遠野なぎこが爆発し、怒り狂うことは目に見えていますからね。君子、危うきに近寄らず。カラットちゃんは当たり前だけど、ウィバースと蜜月関係にあるのかしら?ぶちギレてませんか?大丈夫でしょうか。ウィバースと関わりがないため、情報にまた一段と疎くなってしまいました。しかし金の切れ目が縁の切れ目だと弁えれば何も怖くない。

 私はオタクらしからぬ、財布の紐が固いタイプなのだ!色んなお金の使い方があると思います。推しに貢ぐもよし、洋服や装飾品に充てるもよし、美味しいものを食べるもよし。旅行でリフレッシュするもよし。嗚呼、温泉行きたいー。私の場合、財布の紐が固いからさ、彼らに貢ぐ分は、今度会えた時のための洋服や美容グッズに消えていきます💸

 「会えなければ意味がない」と考えている私は、この状況下でますます干物女に拍車が掛かりそうなのだ!だから必死でエクササイズをして、マッサージをして、ウォーキングをして、と何とか頑張っています。この頑張りがいつまで続くのかは謎。本当は干物女なのに、田中みな実がちょくちょく降臨するからなー。水の飲み過ぎはただのバカだと思うし、おっぱいまでが顔だとは思いませんが。(パンチ!)

 とにかく、ウィバースショップと関わりがない、という点においては恵まれていると勝手に思っています。「いつ届くのかなー。」と散々待たされた挙げ句、不良品では韓国まで殴り込みに行くしかなくない?「検品しろや○ゲ!」と殴り込むしかなくないか?自分の特性上、危ないものには踏み込まないという危機管理能力だけはあるはず。

 いや、買ったことがないので何とも言えませんが、なかなかアコギな商売だなー。いい仕事だなー。(ゲスニックマガジン)ジョンハンは何も悪くない。周りのプロモーターが全て悪い、と自分に言い聞かせてきたため、すっかり周りの大人を恨むクセが!大人って本当悪いよなー。心ある人間をモノとしか見ていないよなー。

 三浦春馬が死んだって、代わりはいくらでもいるんだね。次から次へと若手が進出し、目まぐるしく移り変わっていくものね。ただの駒に過ぎなかったんだ。彼はそのことに気付いちゃったのかも知れませんね。だからこそ死なせちゃいけなかったのに。「唯一無二」と見せかけて「代わりはいくらでもいる」と無言で突き付けたこの現実よ。私にとっては何物にも代えがたかったのに。

 皆、取り替え不可能な、代替不可能な存在なんだよ。でもそれは、きちんとした人間関係の中でしか実感し得ないんだ。ちゃんとここにいる、という感覚は、確かな人間関係の中でしか感じ得ません。あんなにきらびやかに見える世界に身を置いて、あんなに沢山の人に囲まれていたのに一人だったということか。

 それが悲しくてなりません。ジョンハンにはいつも感じていて欲しい。「僕はここにいる、ここにある確かな存在だ。」と。頑張り屋さんだから心配だよ、ハンサム坊や。チュッ!!(深夜だからゆるちて) 

未来はずっと先だよ

 あれから色々考えたのですが、人を好きになるということは、全てを託すことだと思ったんです。そう考えると、ハニちゃん似の青年に全てを託せるほどは好きじゃないことに気付きました。いや、急になに?ハニちゃん似も別に私のことを好きでも無さそうだし、そこから、0から1にする労力が残念ながらないのだ。別に私のことを好きでも無いような人を振り向かせちゃる!という気合いがないのです。

 この気合いのなさ、極力、労力を掛けたくないという消極性がいかんね。「ハニちゃん似の色んなことに興味が無さそうなところがステキ!」ってあんた、色んなことに興味が無いのなら、あんたにだって無いんだよ、ということに後れ馳せながら気付きました。気付くのが遅いけど、まだアタックしていないから無傷!無傷の勝利。

 私だってさ、本当はハニちゃん似とデートしたいし、色んな話はしたいですよ。でもそれは望みすぎだし、ただの客がデートしたがっていると悟られてはなるまい。「おまけにクッキーの一つでも付けてくれたらいいのにさ。そんなことは一度もないから脈なしでござる。」と落ち込んでいたら、母上に「バイトにそんな権限はないから。」と冷静に言われました。そっか!権限がないだけか!と少しだけライフが回復。

 今日ね、浅田真央ちゃんがパラリンピックの選手の取材をする番組を観たんです。そこで視覚障害の柔道選手と選手の故郷、糸島市でソフトクリームを食べるシーンが!あまりにステキなお二人に泣けてきましてな。真央ちゃんが「一口貰ってもいいですか?」と柔道君のアイスを食べていて、とても好ましかったんです。柔道君も純情そのものでとても可愛い。顔も可愛い。と最高の番組でした。

 考えてみれば、私はそんな経験が皆無。大学時代に好きだった男の子にリンゴを差し出したら拒否られたおなごぞ!?父上に話したら「友達の前でリンゴを食べるのが恥ずかしかっただけ。」と慰められましたが、差し出したリンゴを食べてくれないというのは悲しかったぜ。リンゴって丸かじりじゃないですよ!ちゃんと切って塩水に浸けたリンゴですよ!ムキー💢

 自分で言うのも憚られますが、こんなに面白い私からのリンゴを拒否するとは何事!?と怒り狂った私。いや、怒り狂うのは今現在で当時は落ち込みました。「リンゴ食べる?」と聞いて「いや、いい。」と言われた時の衝撃たるや。ま、よく考えれば、好きでもない女の子からタッパーに入ったリンゴを差し出されたらビビるわな。

 浅田真央ちゃんと柔道君の微笑ましいデートを見て、古傷に塩を塗り込まれたようでした。本当にステキなデートだったんです。生まれてきた意味が全て分かるような、あの瞬間に生まれてきた甲斐があると思えるような、そんなステキなデートやってん。(いきなり関西弁が!)

 リンゴを食べてくれなかった恨みが再燃し、メラメラと怒りが沸騰しています。「この恨み、以前も味わった!」と思ったら、やきとん屋のお兄ちゃんのBBAへの依怙贔屓じゃん!と思い出しました。あれはまだコロナがここまで迫る前の暑い夏の日。家族でお気に入りのやきとん屋へ。客は私たちしかおらず、お兄さんと適度に雑談しながら楽しく食事をしていました。

 すると、ペラッペラの寝巻きみたいな服を着たばあさんが乱入。常連らしく、お兄さんをかっさらってしまいました。お兄さんも愛想よく接客するため、時折ばあさんが勝ち誇ったかのような顔をしてくる有り様。「ムキー💢」と烈火のごとく怒った私は、あの夏以降やきとん屋の不買運動に突入。

 しかし、父上いわく「ちいちゃん(私)が好きだとは向こうは知らないから、そんなに責めてやるな。ばあさんはただの客!ただの仕事!」とまたまた慰められました。そして悲しいことに、やきとん屋の店長はリンゴを食べてくれなかった彼に似ているんです。バカでしょう?ハニちゃん似しかり「似ている」というところから離れられないんです。

 NU'ESTのJRパイセンに惚れたのも、三浦春馬に似ているからだもんね。いくら似ていたってジョンハンではないし、三浦春馬でもないんですよね。おバカさんね。「似ているから」という陳腐な出発点を断ち切り、その人のことをもっと知りたいという一心で始まりたい。第一、それは相手にも失礼だよね。「ジョンハンに似ているから好きになりました。」なんて口が裂けても言えない。

 言えないことを抱えたまま始まる恋は、恋に恋していただけなんでしょうね。あの時、もしリンゴを受け取ってくれていても、誰にでも親切な、誰にでも優しい彼に嫌気が差していたことでしょう。君はゴールデンレトリバーにも優しかったもんね。あの時の老犬の穏やかな顔、今でも覚えているよ。

l love you more than you'll ever know.

 ヴッ…宇多田ヒカルの新曲が良すぎて泣きそう。既に泣いています。新しいんだけど懐かしい。懐かしいんだけど最先端、とでも言いますか。エヴァンゲリオンの劇場版を全て録画したので、おうち時間にでも観てみます。全てを諦めているように思えて、何一つ諦めきれない私への歌のようにも聴こえるぜ。

 全てを諦めたはずなのに、実は何も諦められない。もう誰も好きにならないと決めたのに、ちゃっかり惚れている。ちゃっかり惚れてしまったなら、行けるところまで行く自信はない。もう通うのは止めよう、ハニちゃんに似ているお兄さん(おそらく、絶対に年下)に会いたいがために苦いコーヒーを飲む必要なんてないじゃん。

 なぜあんなにも魅力的なのだろうか。なぜあんなにもあらゆることに興味が無さそうなのだろうか。なぜ、なぜと思ううちに気が狂いそうになる。もう追いかけるのは止めよう。ハニちゃん似を追いかけるのに忙しい文系は、余りにも見境がなくて恥ずかしいや。

 好き好きアピールが出来たらどんなに楽でしょうね。愛してるの響きだけで強くなれたら、どんなに救われるでしょうね。忘れたくないことばかりに埋め尽くされた私の記憶。私だけの記憶は、誰も傷付けないお笑いなんかじゃ満足できません。傷付くだろうけど、傷が教えてくれることもある筈だよね。

 斜め前髪、一昔前の韓国のアイドルのような髪型の彼は、一度だけおでこを出していた時がありました。(ストーカーの極み)(ゆるちて)その時、ハニちゃんの広いおでこを彷彿とさせる姿を見た時、時間が止まりました。ミノキ買ったるからな!!と更に愛が深まりました。勝手に愛が深まるただの客。余りにも分が悪すぎる。勝手に惚れて、勝手に浮かれるタチの悪いただの客。

 中高時代の友人がもんじゃ焼き屋のお兄さんに「イケメンですね!」と言った瞬間、顔から火が噴くほど恥ずかしかったあの時。大してイケメンではないのも憎らしいし、そんなことを軽々しく言う友人の神経も分からぬ。私はね、自分で言うのも憚られますが、慎ましい客なんですよ。慎ましく、おしとやかな客である私にこの先どうしろと?

 「惚れちまいました。」と言える能天気さは皆無。迫り来るバレンタインデーに賭ける積極さも皆無。いや、もはや地蔵やんけ!地蔵ならどんなに良いだろうか。心を持った地蔵にとって、この世はまさに生き地獄です。宇多田ヒカルは、大人になるしかなかったように思います。周りが彼女を子どもではいさせてくれなかったように見えます。だからこそ悲しいし、だからこそ美しいのでしょう。地蔵もどちらかというとそのタイプ。(烏滸がましい)

 君が思っているより、私は君を愛しているよ。

忘れたくないこと

 こんばんは。ステイホームを緩く守り、読書と映画鑑賞に明け暮れる日々です。電車にもしばらく乗っていないし、乗らなくてもなんとかなることに気付きました。意外に色んなことがなんとかなってしまうと同時に、無くても困らないものが炙り出されてしまう現実。残酷ですね。私にとってのガソリン、つまりエネルギーは本であり、映画であることも改めて突き付けられました。

 先日ゲットした文芸誌『ユリイカ』がとっても面白くて、寝食を忘れて読み耽っています。勢いで大好きな筒井康隆のムックも買いましたが、ムックってあれだね。内輪ノリの最たるものかもしれないね。ファンのあーだこーだは割愛し、筒井康隆の言葉だけ読もうかしら。木皿泉のムックには内輪ノリ的な要素はあまり感じず、むしろ連帯を感じ取った気がしたけど。ムムム。

 ファンのあーだこーだがムック本の醍醐味でござる!と言われればそれまでだけどさ。ま、気楽に読み進めますわ。『ユリイカ』は良いですぞ。韓国映画特集が実に濃く、満足度も高く、次に控えるカズオ・イシグロ特集も期待大。しかし本を読めば読むほど、映画を観れば観るほど、私自身が人生に飢えていることを思い知らされます。 

 きっとその飢えこそが探究心を支え、読んだものや観たものが私を形作るのでしょう。そう思うと、グレートハンガーも悪くないのかも。(映画「バーニング」参照)この飢えを形に変えた方がよろしい?よろしおすか?と思い、とある小さな作文コンテストにエッセイを出品し、作品賞を貰いました。ま、大したことないけど、少しだけ自信に繋がりました。

 誰かが見てくれるというだけでいい。気難しく、難解な心を解すには文章しかないんです。読書量が増え、ますます性格が面倒臭くなってしまったかも!と危惧したり、何かと毎日忙しいです。日々「楽しいこと」をすることが許されている私は、結局本を読むことが一番楽しいんかい!ルネッサーンス!(髭男爵)とワインを燻らせたいくらいよ。

 髭男爵の山田ルイ53世だっけ?がかつて言っていました。「世の中の全てのことに意味がないとあかんか?」と。私もそう思う。山田さんは確か6年くらい引きこもっていた時期があり、当時のことを雑誌の記者に聞かれ、毎回「6年間の意味」を尋ねられる。意味なんてその道中では分かりっこないじゃん。振り返ると、そこが道になっていたというだけの話ちゃうんか?

 「意味」に重きを置くと、例えば古代ローマ史なんて今学んで何の意味があるん?ギリシャ語解読してどうなるん?という議論に繋がりかねない。それがお役所の文系学部軽視っす。「意味」ではなくプロセス、物事を順序立てて整理し、無理矢理でもプロセスに意味を持たせる。振り返ると、形になっているのが学問じゃよ。

 引きこもりは回復までのプロセスに過ぎないはずだし、引きこもった意味なんかを問うのはナンセンスじゃない?つまり、何が言いたいのかと言うと、社会全体が結果を求め、その過程をすっ飛ばしているきらいがある。過程がなきゃ結果も生まれないのに、いきなり成功体験を語らせるシューカツ。実にくだらん。

 決められた枠に、望まれる人物像に収まることは、国家としての衰退を意味すると思うの。それは言ってしまえば、国が管理しやすい人間を望んでいることにひれ伏すことだから。その点で私が韓国に惹かれるのは、「自分の手で社会は変えるし、変わる。はよ変われやボケ!」と信じている人が多いように見受けられるからなのだ。『ユリイカ』を読んで、ますますそう思いました。

 え?なんかめちゃくちゃアツくない?アツく語りすぎ?てへ。「別に今死んでも、80歳になって死んでも何も変わらないじゃん?」と思っていた木皿泉(女性)ことトキちゃんの気持ちがよく分かる。でも、人は生まれ落ちた瞬間から世界と関わり、どうしようもなくこの世と関わり、降りたくても降りられないのが生きるってことだと思う。

 家族や友人、そして恋人など、どうしようもなく結ばれた人たちに囲まれて、「降りたくても降りられない」という幸福を噛み締める時がきっと、あなたにも私にも訪れるはずだよ。 

願わなきゃ傷付かなかった

 録画していた菅田将暉のライブなう。黒髪短髪ツンツン頭、素晴らしいです。愛鳥のセキセイインコが彼の歌が好きで、よく一緒に聴いていました。「よし、アルバム買っちゃる!」とインコに約束するも、愛鳥は静かに旅立ってしまいました。私はとても幸せだったこと、亡くなる前日のインコもとても幸せそうだったことを菅田将暉を聴きながら思い出しています。

 「菅田将暉ってすぐに鼻血出しそうw」という父上の見立てが頭から離れず、「確かに変態そうだしね…」と妙に納得してしまう自分がイヤー!好きよ。好きなんだけど、ライブ後半のタンクトップ姿もイヤー!と好きなんだか嫌いなんだか分かりかねます。「まちがいさがし」を歌いながら泣いている姿を見ると、やっぱり好きかも。

 さて、最近は読書と録画していた韓国のドキュメンタリー消化に躍起になる日々が続いています。韓国の小説やドキュメンタリーを観ると、必ず日本について言及する場面に遭遇。その度に胃が痛くなる思いです。「一体いつまで言われるんだろうか」という思いと「日本が余りにも朝鮮半島が辿った歴史について知らないのかもしれない」という思いから、朝鮮半島の歴史について改めて勉強しました。

 大学の朝鮮語の授業でも先生と日本海の東海(トンヘ)問題で静かに火花を散らしていた私。NHKのドキュメンタリー「地球タクシー」にて、タクシーの運転手にイムジン河を越えて北朝鮮を見渡せる展望台を案内される日本人ディレクター。ディレクターが思わずキラキラ輝くイムジン河を前に「綺麗ですね。」と呟いた瞬間、「あかーん!チクリと刺されるぞ!」と予感しましたが、予感的中。

 ディレクターは運転手に「韓国と北朝鮮に南北が分断されたのも日本の責任がある。」と言われました。日本の植民地支配を経て、アメリカとロシアの代理戦争の舞台となった朝鮮半島。民主主義と共産主義の対立の犠牲になりました。しかしそこに至るのは、日本が無責任に朝鮮半島を明け渡したからというお話でした。

 そう考えると「愛の不時着が無事に着地して良かった!」なんて呑気に日本人が言うことさえも憚られる気がします。 そんな韓国の人々の思いを聞く度にぐったりしてしまうのだ。「じゃあ謝ればいいのか!?」とキレそうになる私は、短気で損気なのかもね。彼らは決して謝って欲しいわけではなく、あまりにも歴史に対して無知で無関心な我々に怒りを覚えるのかもしれません。

 私が最近読んだ韓国の小説に、日韓関係を考える時「お互い、自分の国で良き人として生きることが望ましい。」というような文章を読みました。そうだ、その通りだ。今度、韓国人に日韓関係について聞かれたらそう答えよう、と聞かれたこともないのに勝手に予習しています。

 私が唯一言えること、それは日本の教育は近現代史に力を入れよということです。私もあまりにも無知でした。しかしそれは教えられないからなんですよ。近現代史は駆け足で過ぎていくんです。自分で本を買って学んだ人しか詳しいところまでは分からないという現状。カッコいいだ可愛いだって消費する前にお勉強が必要だと切実に思います。実に歪だね。

 最近観たドキュメンタリーは「地球タクシー ソウルを走る」「温故希林」「ザ ヒューマン K-POPに夢見る少女たち」「韓国でフリーハグをする男性」と後半のタイトルはテキトーですが、こんな感じ。樹木希林が韓国を訪ねる「温故希林」で描かれた、韓国の女性が抱く「恨(ハン)」という感情がとても興味深かったです。気になる方はググってね!

 しかし最近は「ググレカス!」と思ってもネット上の情報は偏り、何を信じて良いのか分かりませんね。ウィキペディアなんかもかなり偏っているし、やはり読書ですよ。私も最近はググることを止めて、ひたすら本を読んでいます。インターネットは余りにも無法地帯だから。そうそう、「韓国でフリーハグする男性」については「黙って早く働けバカ野郎!」という感情しか生まれなかったのはナイショ!

 さてさて、久しぶりのブログでかなり長くなりましたが、我が家では、もしかして私だけ韓国人説が流行中。K-POPから始まり、韓国の文化にとても惹かれるからです。だからこそ「なんだと!?」とキレる時もありますが、キレてぶつかってみる経験も必要でしょう。移住するかも!?

誰にも言わない

  新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします♪こんなにめでたくないお正月も珍しいですが、ゆるゆる生き残りましょう。正月早々、テレビ内蔵のHDDがストライキを起こし、冷や汗をかきました。幸い、また息を吹き返したので一安心。でも機械は勝手には直りませんからね。大切なビデオは全てカセットHDDにダビングしました。

 そんな細々したことに頭を悩ませていたら、もうお正月も四日目。食べて寝て、エクササイズして、また食べて、という日々よ。YouTubeのトレーニングチャンネルを観ながら、毎日エクササイズしているのだよ!ももみちゃんのスパルタ指導に食らいついています。本当はリングフィットアドベンチャーがほちい。でも売ってるのかね?ヨガマットもほちいし、形から入るタイプなのでグッズばかり増えていく予感。

 さて、朝からNU'ESTパイセンのコンサートDVDなう。アロンさん活動休止のニュースに心が痛む。なかなか厳しい世界で、厳しい国で、身体と心に鞭打って走り続けてきたのかな。もう私がメンタルケアスタッフとして入社したいわ。全力で守りたいわ。本当にパイセンが好きだからなー。とりあえず日本ファンクラブ復活してくれ。話はそれからだ!

 父上がね、韓国の男性アイドルの化粧のせいなのか「どこか病んでる感じ」に女性は惹かれるのかな?と言っていたんです。私は病んでるとは思わないけれど、とても心配なのは事実。心身ともに健やかでいてくれることだけを願っていることは事実。皆細いしさ。とにかく彼らはとても魅力的だよね。

 またおこもり再来の予感だから、コンサートDVDや録画した音楽祭でも観て、細々と生き延びようかしら。積ん読も沢山あるし、こんなにも積ん読に感謝したことはない。どうしても名を馳せたいとか、一目置かれたいとか思っちゃうんだけど、結局は細々と生き延びた者が勝ちなんだよ。派手じゃなくてもいいし、名を馳せなくてもいいからさ、明日の夢だけは見させておくれよ。

 大晦日の紅白でポロポロと泣いてしまった事態を鑑みると、予想以上に現状に堪えているのかもしれません。思い詰めるのも相変わらずだし、だからこそアイドルが心の支えなんですよね。彼らがいてくれるなら私もきっと大丈夫。彼らが大丈夫ならそれでいいんです。それだけでいいのに、なかなかそうもいかない。世知辛いね。

 公園で凧上げをする子どもを見ると、彼らの子ども時代は案外短く、そしてウイルスの記憶が色濃く残るであろうことを考えました。果たして、ウイルス相手に勝つという発想は正しいのか。もう既に終わりの始まりなのかもしれませんね。だからと言って投げやりになるのではなく、だからこそ誠実に生きたいんです。最後の瞬間までね。

春の夢

 心が沈んで眠れないのです。原因は分かっています。春馬よ、なんで死んじゃったのかなーと思うと、気付いたら泣いています。春馬が小鳥だったら、私の元にやってきた小鳥だったら良かったのに。どうして皆、平気でいられるんだろうか。平気そうに見えて実は平気じゃないのかな。私は本当にだめなんです。叫び出したくなるくらい、心が悲鳴を上げていることが分かる。

 たかが芸能人、私とは言葉も交わしたことのない、会ったこともない芸能人なのに、こんなにも心が抉られるのはなぜ。それは私がお慕いしていたからに他なりません。春馬がいなくなった席には新しい人が座り、番組は続いています。まるで最初からそこに春馬がいなかったかのようにね。そうやって皆、日常を取り戻すかのように振る舞います。

 でも私の日常は、彩りが失われたまま、彼の笑顔だけを追い求め、「JUJUのこと、あんまり好きそうじゃないところが好きだなー。」と思っていたあの頃へ帰りたくなるのです。別に前へ進むのが悪いという話ではなく、立ち止まり続ける私を美徳としたいわけでもありません。ただ、無性に腹立たしいのです。春馬が死ななきゃならなかったこの世が憎い。顔が可愛いからって芸能界入りさせた親が憎い。

 芸能界なんか入らなければ、今頃はどこかで生きていたかもしれないのに。皆、使い捨ての駒に過ぎません。駒にだって心はあるんですよ。春馬、君の命日から5ヶ月後の12月18日に私の愛鳥が旅立ったよ。春馬も失い、愛鳥も失い、皆死んでしまうこの世がいやになりました。竹内結子まで死ななくてもいいでしょう?と思うと、悲しくてやりきれなくなる。

 桜塚やっくんだって死んじゃったし、老衰以外の死は余りにも悲しい。ましてや自死なんて耐えられないんです。好きな人が下した決断だとしたら、それを受け入れろという方がどうかしているのではないでしょうか。「無理に納得しなくてもいいし、受け入れようとしなくてもいい」と話してくれたその人は、私の一番の味方のように思います。

 春馬が死んで悲しい。春馬が死ななきゃならなかったこの世が悲しい。私が生きていること自体が悲しい。そうやって誰かに話したいんです。幸い、母上は黙って聞いてくれますが、私が余りにも泣くため、母上もしんどいかもしれません。だから夜中にひっそりとブログを書き、泣きながら眠るのでしょう。

 今年は春馬で始まり、春馬で終わるよ。いつまでも夢を見ていたい。春馬の夢を。そして私はあの日に帰りたい。小学校の卒業アルバムの写真撮影で、上手く笑えない私を一生懸命笑わせようとしてくれた二人の男の子。彼らに見守られながら、ハニカミながら笑う私は、誰よりも幸せだったこと。今なら全て分かります。あの瞬間に愛が生まれていたことを。

 6年間の小学校生活で青春を駆け抜けてしまった私は、あの時以降は余生に過ぎません。暇を持て余し、時折叫び出したくなるくらいの寂しさを味わい、ただ涙する日々。助けて欲しいと思いながら、誰にもSOSを出せずに来たのなら最後まで行け。本当は愛し、愛されることを誰よりも望んでいるのにね。