今日が人生で最後の日でも

カラットちゃん、こんにちはー。低気圧頭痛により、瀕死でございます。調べてみると「ゴレイサン」という漢方が効くとのことで、薬局まで買いに走りました。今話題の低気圧不調に効くと謳った小林製薬の「テイラック」はずっと欠品らしいよ。頼むぞ、ゴレイサン!と勢いよく飲み干し、K-POP館へ。買うつもりのなかった、ハニちゃまのポストカードをふらふら~とお買い上げし、大満足でござる。ハニちゃまに関しては「迷ったら買う」を信条にしているため、ポスターやらポストカードやらが知らぬ間に増えて行きます。以前も「どこに飾るねん!」とぶちギレて買わなかったシーグリミニポスターに未練たらたらとなり、その日の夕方に再び買いに走るという愚か者なり。その経験から一日に二度もK-POP館へ行くくらいなら、一発で決めようぜ!と即決する運びとになりました。ま、またふらふら~と行けば良いんですけどねー。うかうかしてたら、カラットちゃんに買われちまう!という焦りが心臓に悪いため、出会った時がお買い時、という通販の煽り文句に従って行動。あなた以外なんにもいらないやい!とにこにこお買い上げしています。しかしこの男、高くつくわー。ま、惚れた腫れたとせいぜい楽しみましょう。一途に騒いでいられる幸せを噛み締めましょう。

 カラットちゃんは、池袋のK-POP館には行かれたことはありますか?私は去年だったかな?ハニちゃまのカップホルダー巡りで母上と新大久保へ突撃し、池袋でもカップホルダーは買えないのかしら?と検索。するとK-POP館のツイートを発見しました。その時はまだエンタメ館という名前だった気がする。新大久保より公式グッズが豊富!という謳い文句で、行ってみるとめちゃくちゃ楽しかったというわけ。正直、ハニちゃまのグッズは高いです。本当に高くつく男ですが、その中でも許容範囲のものをせこせこ買っているのだ。1000円以内なら安いやん?と瞬く間に散財。

 当初は「440円以内!」とまるで子どもの遠足のお菓子のように決まりごとを作り、突撃していました。それが次第に「660円…○ソが!」となり、「880円…1000円しないんだからね!」と感覚が麻痺し、880円までは許せる、とお買い物。そんなケチケチした女の横で、高額なレアトレカをガンガン買うカラットちゃんに遭遇すると「金銭感覚よ…」と立ち竦んでしまう。私は「440円まで!」と○キのように慎ましいのに対し、なんなんだ、お主はまだ若いのにその散財ぶりは!!とお節介BBAの人格がひょっこり。良いんですよ、何に費やそうと。個人の自由だし良いんですけど、せこせこ買っている私の隣で豪快な大人買いはやめて。どう見てもこちらの方が大人なのに!「1000円以内!」と決めている慎ましい大人の隣で、豪快な大人買いはやめて。立場がねえぞ。ま、慎ましく楽しむのも大人の嗜みな感じがして、それはそれで悪くないけど。

 ザセムの特大ジョンハンポスターは新大久保、シーグリミニポスターはK-POPでお買い上げし、どちらも額縁に入れ、ラグを敷いた上に立て掛けています。近日中には、SVTのクリアポスターも届くはず!一向に発送されませんが…第一弾グッズが待てど暮らせど届かず、問い合わせわず。すると返事を寄越さない代わりに、速やかに発送されました。ま、届けば良いんですよ、届けば。先日オンラインにログインすると、お客様とのやり取りの記録?というようなページがあったので見てみると、私が送った腰の低い催促メールがあるだけでした。ん?「これのどこがやり取りじゃい!!一方通行じゃねえか!!」と鎮まっていた怒りが再燃。返事しろ。こちらは楽しみで仕方がないため、もう既に額縁を買ってスタンバイしているのですが。焦らされた分だけ、愛しさも募るわ。ジョンハンのポスターを床に直置きしているため、ふわふわのラグを買って、その上に飾ろう♪とパルコでラグを買ったり、何だかんだでそなたのお陰で毎日楽しいですわ。生まれて来てくれて、ここまで立派に育ってくれて、どうもありがとう。いつの日かまた会えたとしたら、暖かい眼差しを向けておくんなんし。 

一人で生きるより、永久に傷つきたい

 カラットちゃん、こんにちは。元気ですかー!私は資格試験の勉強の合間に、せっせとブログを更新中。SEVENTEENさんと少し距離を置いたことにより、消えかけていた愛が再燃しましたわ。めでたしめでたし。一件落着。「もうだめかもしれない」と感じた時は、潔く身を引くことだね。一歩引いてみると、新しい景色が見えることもあるから。いくつもの出会いと別れを振り返って思うことは、来る者拒まず、去る者追わず、というスタンスで生きるべし、ということ。そして悲しい過去は抱き締めながら生きるか、引き出しの中にそっとしまい、時々取り出して自分を労るか、それくらいしかない気がします。

 自らを見つめ続けても、見える景色は変わりません。関心のベクトルを己に向け続けるのではなく、他者に見出だすべし。そのためには、内に向かった意識を外へ向ける努力が必要なようです。内省的なのは結構だけど、それだけじゃ疲れちゃうよ。カラットちゃん、ちょっと愚痴っても良いかしら?私の中高時代の後輩がね、報道番組に記者として出演したことを、恩師のSNSで知りました。恩師は以前にもレポーターとして活動する教え子のことをSNSに載せていて「そんなにマスコミが好きか?」と毒づいてしまったというわけ。テレビで活躍する人間なんて一握りだし、前に前に出る性格だから出ているだけだとも思います。数多の生徒を送り出し、その中でマスコミ関係に就いた教え子を持て囃す。そんなことをされたら、圧倒的多数のそれ以外の教え子たちの気持ちは?

 皆が皆、卒業後は順風満帆な道を歩んでいるわけではありません。時に迷い、もがき、苦しみながら道を見つける子達も多いはず。どうして教師という立場にありながら、華やかな(華やかに見える)世界にしか目を向けないのか。テレビに出ている、それがなんぼのもんじゃい!とも思います。圧倒的多数の地道に生きている生徒たちに思いを馳せられないのか。残念ながら、想像力が乏しいのだと失望しました。両親に言わせると「ミーハー」の一言に尽きるらしいですわ。もし教え子が報道番組に出演したことがそんなに嬉しいなら、その子個人宛にメッセージを送り、激励すれば良いだけのことでは?あの投稿を見て、私のようにどこか寂しい思いをした生徒もいると思います。少なくとも、私は寂しかった。

 皆が皆、俗にいう成功者のポジションを勝ち得るわけではありません。私は大学卒業後に派手に傷つき、自らは社会からこぼれ落ちた存在だと思っています。今再び、社会と関わりたいと奮起しましたが、教師はただのミーハーじゃ困るんですよ。躓きながらも再び立ち上がろうとする教え子たちに、暖かい眼差しを注ぎ続けてくれる存在であって欲しい。私が望みすぎか?彼女はただ「あ!教え子がテレビに出てる!すごーい!」との思いだけで言葉を綴ったに過ぎないと思います。でもその影で寂しい思いをした教え子の気持ちまでは考えられないかな。悩みなんてひとつの通過点であり、大きすぎるブレスレットのようにするり、といつかは抜け出せます。でも渦中にいる人間には、その「いつか」を待てる余裕はない。永遠に「いつか」が来ない気さえします。迷える子どもたちに光を当てるのが教師ではないのか?ただのミーハーじゃ困るんですよ!!私の望みすぎかもしれないけれど、彼女が大好きだからこそ、ここまで腹立たしいのかもしれません。そんなそそっかしさ?もご愛嬌、と見逃してやるかね?期待をすると裏切られる。でも、誰にも期待しないのも寂しい。この寂しさは誰にも言わない。

悲しくないよ、君がいるから

 カラットちゃん、こんばんは。ご無沙汰しています。皆さんお元気ですか?私は暫くツイッターから離れ、愛情に疲れたので、ひっそりと眠っていました。愛情に疲れたなら、ひっそりと眠るのもいいもんだ。と宇多田ヒカルも言っていますからね。カラットちゃん、「花の20代をジョンハンに捧げちまうだろうが!!」とぶちギレても良いですか?ぶちギレつつも、見守り続ける勇気を私に下さい。これが幸せなら、もっと欲しいよ。絶え間なく供給され、甘受する日々よ。いつかは終わりが来るのかもしれない。ただ、終わりに目を向けるのではなく、限られた時間を捧げようとする最後の力を振り絞りたい。本当は、もう走れないかもしれない。SEVENTEENに青春を見て、ここまで走ってきた気がする私ですが、もう走れないかもしれない。もはやひっそりと身を引くしか道がないと思いました。しかしどんなに遠く離れても諦められるはずがないと悟りました。いや、諦めて堪るか、という思いもある。時に立ち竦むことがあっても、一旦立ち止まり、再び向かい合えば良いのではないか。もう走れない、いや、まだ戦えると迷いながら、時間は流れて行きました。勝ち目のない戦いに身を投じているのは紛れもない真実。救われなくても、報われなくても、信じ続けることを止めない者だけが辿り着ける景色があるかもしれない。その景色を見たいというより、ジョンハンを信じ続けたいという思いが強いことを知りました。

 ひっそりと眠り続けた時間が教えてくれたことは、愛情に疲れたなら、一旦身を引くということ。渦中にいることにこだわらず、離れてみる勇気を持つこと。流れ行く時間が私の立ち位置を変えるかもしれないし、変えないかもしれない。新たなステージから彼らを見つめるかもしれないし、見つめることはもうないかもしれない。きっと、それで良いのかもしれないね。ジョンハン、お主に捧げた時間は、かけがえのないものでした。これからもよろしくね、という気持ちでずっといられますように。いつか離れる時が来ても、笑顔でさよならを言えますように。

 病める時も、健やかなる時も、嵐の日も、雨の日も共に歩もう。歩めたらいいね。芸能生活が長いジョンハン青年に言えることはなにもないけれど、どんな時も味方でいてくれる12人の友人に恵まれたことは、私の幸せです。かけがえのない仲間たちに囲まれながら、ジョンハン青年がジョンハン中年に差し掛かるのを側で見ていたいな。一緒に年を重ね、いくつになっても「カラットちゃ~ん!」と呼び掛けて欲しい。カラットちゃんに惜しみない愛情を注いでくれている、といつまでも感じさせて欲しい。悲しいことなんて全て忘れさせて欲しい。なんだか求めてばかりだね。そして愛情に疲れた時は、ひっそりと眠る私も許して欲しい。ジョンハン青年よ、いくつになっても幼子の面影を残す、可愛い可愛い青年よ。多くのカラットちゃんは、その優しい眼差しに救われているんだよ、きっと。

溢した水はグラスに返らない

 カラットちゃん、こんばんは。今日は蒸し暑い1日でござった。夕食は、近所の行きつけのお寿司屋さんへ行き、満足しました。常連のじじいが幅を利かせていますが、お店の大将が聞き上手で感じが良いため、許せる。常連のじじいが幅を利かせていますが。(2回目)しかし大将の穏やかな雰囲気が良いんだよなー。お主、敵を作らないタイプね。さて、カラットちゃんは、SEVENTEENパイセンの新曲はもうお聞きになりましたか?私はまだ聞けておらず、その日を楽しみに待っているのですが、音楽に没入する喜びを与えてくれる彼らが大好き!いやねー、実は少し気持ちが離れつつあるのも正直なところなんです。その理由は、おそらく情報の海に飲み込まれている最中だからだと推測されます。インターネット、つまりツイッターで情報の洪水に飲み込まれ、瀕死の重症なう。

「SVT」でジョンハンの虜になり、「HARU」に初参戦した時は、ブログに思いの丈を綴っていました。いわば一方通行ですね。しかしそれだけでは少し物足りなくなり、カラットちゃんと双方向になりたい、とツイッターを開始。皆さんと交流出来たことがとても楽しかったです。ただ、最近は情報に着いて行くのがただただしんどいのです。ひっきりなしに情報は更新される中、ひとり取り残される  私。そもそも追い付こうという気概さえもありません。もともとそうでした。公式ツイッターと公式ライン、と公式からの情報だけを受け取り、コンサートにウキウキ参戦するただの女(オタク)だったはず。それが今やインターネットの海に放り出され、右往左往する始末。全く忙しいなあ!と言いつつ、楽しめるカラットちゃんも多いと思います。でも私は楽しくないんですよ。恐ろしいことに。

 どうしてこんなに乗り切れないのか分からない。きっと皆が楽しそうだからなんでしょうね。悲しいくらいのあまのじゃくだから。イマイチ乗り切れないな、と薄々感じてはいました。勿論、新曲は楽しみにしています。でもそれだけ。K-POP館でジョンハンのグッズを細々と買い、額縁に入れて部屋に飾る。そうしたいわば目立たない作業、閉じられた世界に喜びを見出だすタイプの私は、華やかな世界が眩しいのだ。皆が楽しそうにしていると余計入れない気がして、距離を取ってしまう。ジョンハンしか思い残さないし、彼の行く末を案じて止みません。「HARU」で「またいつか、早く会いたい」と強く願ったあの日から1年。早かったね。ここまで思い詰める相手に巡り合ったことは、確かな奇跡です。この奇跡を夢のように噛み締めながら、いつか手放す日が来るかもしれない。ふと、そんなことを感じました。大好きな気持ちはそのままに、また新たなステージに私が入るかもしれないし、ひっそりと身を引く日が来るかもしれない。楽しそうな人たちを見ると、スッと身を引いてしまうのは悪い癖だね。

 彼らの高い音楽性に魅了されている私から一言だけ言わせてくれよ。宇多田ヒカルは、CD1枚とコンサートの抽選券封入のみで勝負しているよ。おまけで釣ってくれるな。その音楽性だけで、ガツンと勝負を賭けてみる気概を見せてくれよ。やってやれないことはないだろ、SEVENTEENよ。俺は期待してるぜ。

愛情に疲れたなら、ひっそり眠るのもいいもんだ

 カラットちゃん、こんばんはー。宇多田ヒカルの2006年コンサート「UTADA UNITED 2006」なう。2018年の「LAUGHTER IN THE DARK」がとても良いので、絶賛宇多田祭りを開催中でござる。2006年版は宇多田の若さが弾けていて、これはこれで悪くないじゃん。ノリと勢いが若いですが、可愛いのう。でも、今のしっとりした宇多田が好きかも。いや、彼女はその時々が常に最高なんだと思います。20代はイケイケ、30代はほどほど、ですね。水蜜桃を思わせるお肌が眩しい。以前、YouTube宇多田ヒカル井上陽水の「少年時代」を歌った映像がアップされました。歓喜した私は、初めてコメントを書き込んでみることに。「まるで水蜜桃のようですね。」とド変態丸出しのコメントをなんと本名で載せてしまい、一瞬で消しましたよ。YouTubeのコメントって本名以外でも出来るよね?なぜ私は本名だったんだろうか?インターネット難しいー!

 しかし2006年の宇多田が母上のことを「ママ」と呼んでいて泣けてしまいました。そうだよね、ママだよね。大切な、世界にひとりしかいないママなんだよね。ヒッキー、私はいつも側にいるよ。カラットちゃんは、SEVENTEENは勿論のこと、お慕いしている歌手はいらっしゃいますか?私は宇多田ヒカルへの思い入れが強いでごわす。宇多田ヒカルはねー、なんとファンクラブがないんですよ!カッコいいよね!ライブの回数も少ないし、それだけ貴重な中、参戦出来たことがうれちい。以前も書きましたが、2018年は念願の宇多田ヒカル(生!)とSEVENTEENに出会えて、かけがえのない一年でした。2006年のヒッキーがライブを終え、立ち去ろうとするのに対し、嘆くファン。するとファンに向かって「いいじゃん、また会おうよ!また集まればいいじゃん!長生きしてまた会おうよ!」とヒッキーが言っていて、泣けてきました。そうなんです、生きていればまた会える。また集まればいいんですよ。でもコロナの出現により、また集まる、ということが気軽に出来なくなっちゃったね。

 コンサートが終わり、ジョンハンとお別れする時は「また会おうね。」といつも思い、悲しみに立ち竦みそうになりながら、そう誓っていたっけ。「また」がいつになるのか分からなくなっちゃった。コンサートの度に心の距離が縮まる感覚がして、また次に会える日を切望する。その繰り返し。そうやって今まで乗り越えてきたし、これからもきっと乗り越えられるはず。そう信じたいけれど、なかなか自信が持てない。このまま会えない時間が続いたら、寂しくて堪らない。でも、生きていればいつか、いつかまた会える。だから早く会いたいという気持ちをK-POP館にぶつけました。ポスターをちょこちょこ買っている私。その後はお決まりのように額縁を買い、部屋に飾るのだ。いくらポスターが増えても、生には敵わない。生身のジョンハンには敵わない。バカなので一日に二度もK-POP館へ行って、より寂しさが募りました。私の思いの矛先であるそなたよ、末永く健やかであれ。悲しい瞳も魅力的だけど、悲しみに飲み込まれないでね。杞憂ならいいのよ。私は心配性なのですよ。

 さて、宇多田の人間活動前の最後のコンサート「WILD LIFE」を観ながら、人の美しさについて考えています。美しいというのも、その影にある儚さと悲哀を感じさせますね。ジョンハン、そなたのことだよ!

首輪繋がれて生きるのは御免だね

 カラットちゃん、こんばんは!断捨離で服を数枚手放したからか、新たに4着買い込んだバカはだあれ?あたしだよ!!「服はもう要らない。持たない暮らし推奨!」なんて言っていたのに、やはりお買い物の楽しさからは抜けられず。代わりに化粧品の軽量化に励んでいるからゆるちて。基礎化粧品は、高校生の頃からORBIS一筋。そのため迷いはないのですが、ボディとヘア用のオイルやクリーム、髪のワックスなど結構ある。ま、女の子なら少ない方だとは思いますが、身体はひとつやないか!ムキー!となり、断捨離というより使い切りに励む日々。あれこれ浮気せず、使い切ったら買わない、を繰り返しています。すると徐々に洗面所の棚がスッキリ!?

 今までは迷ったら買う、というポリシーで生きてきたけど、これからは迷ったら買わない。サステイナブルや~!と似非エコ女と化しています。安い洋服もさ、最貧国のバングラデシュの工場で作られてるから安いわけよ。メイドインバングラデシュ、メイドインチャイナはやめて、もう一度メイドインジャパンに回帰しない??とは思いつつもなかなかそうはいかないよねー。経済もインバウンドに頼らず、日本の中で回していく形を取ろうと思えば取れるはず。外国人から儲けようとする人間が策を練るからか、なかなか厳しいかもしれませんが、地産地消という当たり前の原点に立ち返りたいよ、あたしゃ。自分で食べるものや着るもの、つまり衣食住は、てめえで賄えや!ということ。

 私の中で、メイドインジャパンは信頼の証。だからスマホウォークマンソニー。脱毛器はパナソニック、とメイドインジャパンに操を立てています。自己満だけど、気分は悪くないじゃん。安い安いってニコニコ買う暮らしはもう止めたい。安さのからくりに気付いたら、軽率には飛び付けなくなります。とは言いつつ、セール大好きだけどね!閉店セールで散財してるけどね!世界中の労働者の多大なる犠牲の上に成り立つ、豊かな暮らし。それは既に破綻しているのかしれません。私たちは終わりの始まりを目撃しているのかもしれません。目撃しつつも、諦観しているのか?ま、安さに飛び付くな!というよりも、国民が安いものしか買えないのは、給料が低いからだ!とぶちギレる方が正しいのかもしれません。右も左も八方塞がりだねえ、SEVENTEENさんよ。へらへら買い物ばかりして、己の物欲を満たすためだけに生きる自分への戒めでした!

Only you.

 カラットちゃん、こんにちは。昨日はペラペラと自分語りをしてしまい、ごめんあそばせ。私のツイートがいつも重めな理由は、過去にあったのだ!というお話でございました。友人とも次第に疎遠になり、ひとりは自由で気楽じゃー!と思う反面、誰かと繋がりたくて、ひっそりツイッターを開設。欲しいものはなんでも与えられてきた。私が昔からあまり物をねだらない子どもだったのは、ねだる前に与えられてきたからだと思います。なんでも与えられてきた結果、大した苦労を知らずにここまで育ってしまった、という現実に直面。だからシューカツでは全く戦えず、ドロップアウト。自分で自分を褒める、自分を言葉巧みに売り込む、というシューカツのシステムに適応出来ず、それはそれはしんどかった。

 ペラペラ話すやつなんて信用出来ねえ、という価値観で生きていたため、そりゃシューカツには合いませんわ。根本が違う。だからこれからシューカツに臨むカラットちゃんは、馬鹿馬鹿しかったら、しがみつく必要は一切ないよ。しがみつかなければならない仕事なんて、本当はないのかもしれない。「ここしかない」「これしかない」という状況は、おそらく幻想です。視野が狭くなると、ここにしがみつかなければ死ぬしかない、という考えに追い込まれがち。でも本当はそんなことありません。どれだけ打ちのめされ、自信を喪失しても、時間が癒してくれます。時はいつの日にも、親切な友だちですよ。私は立ち直るまでに数年を要しました。その間に色んなことがあったけれど、より思索に耽るようになり、そんな自分も嫌いではありません。より難しく、より面倒な人間になった気がしないでもないですが、全ては必然だったとさえ思います。

 「私にはこんな良いところがあります!」「私はよく○○だと言われます!」よくもこんなことが言えるな。反吐が出るぜ。と毒づいていたら、知らぬ間に社会から取り残される羽目に。私は!私は!と主張し、グイグイ進むのもひとつの生き方でしょう。でも、世の中はそんな薄っぺらいものではない。思考をすることを諦めない者だけが辿り着ける世界もあるはず。まだ巡り合っていないだけ。そう思います。私は考え抜くことを諦めたくない。後悔しないためのただひとつの方法は、考え抜くことだけだと信じています。

 総じて、思索に耽りがちの人間というものは目立たないでしょう。ひとりの世界に没頭するため、目立つことに重きを置いていないというのか、ひっそりと息をして暮らしているように思います。だから誰にも出会わない。出会いのチャンスを掴み損ねているのかもしれない。ひとりだと自由で余裕、と感じていても、どこかで誰かと巡り合うことを切望しています。だから閉じられた世界から一歩踏み出すために、ツイッターを始めたりなんかしてさ。全くいじらしいなあ!ツイッターとブログに音楽、そして両親が私の拠り所であり、それはこれからも変わることがないでしょう。少しずつ拠り所を増やし、いや、もう十分では?と思いつつも、繋がることを諦めない。裏切られても信じ続ける。その姿勢が求められている気がします。信じた先に見える世界が美しいことを願って。