誰よりも幸せであってほしい

 パイセンが誰よりも幸せでありますように。ジョンハンがいつも自分を信じられますように。それしか望まないのに、それが一番難しいね。それしか望んでいないのに。パイセンのラップを聴いていると、胸が張り裂けそうになる。私の母性を全部あげたくなる。

 ジョンハンは誰よりも愛を欲しているように見える。こちらがいくら大丈夫だよ、何にも心配いらないよと伝えても、きっと信じてはくれないだろう。そのどこか届かないもどかしさ、空しさは、より愛しさに変わるよ。悲しかったことなんて全て忘れてさ、お互いだけを澄んだ眼差しで見つめられたら、それだけでいい。

 パイセンのコンサートDVDを繰り返し観ていると、パイセンのラップは悲しみを表しているように聴こえる。きっと、私には計り知れない大きな悲しみを抱えているように見える。考えすぎかな?すぐに悲しい方向に持っていくのは悪い癖だね。リーダーにしか分からない重圧や不安があるよね、きっと。私には到底分からないけれど、想像することは出来る。

 その瞳が少し翳っているように見える時がある。翳りのある瞳はとても魅力的だけど、それと同時に、堪らなく心配になる。ジョンハンの瞳にも光が感じられない時がある。芸能界という決して綺麗ではない世界で、いつもキラキラした瞳でいてくれ、というのも望みすぎだと思うけど。

 テレビ局のドンを親戚に持つ私としては、芸能界が決して優しくない世界であるということを曲がりなりに分かっているつもり。だからこそ、精一杯歌って踊るその姿に泣けてきちゃうのかもしれない。「やりたくてやってるんだから」と言われればそれまでかもしれない。それが仕事だから、と。

 私もそれが仕事だから全うすべし、とは思う。でも、こんな悲しい仕事がありますか。世界中を周り、スポットライトと歓声を浴びて、また次の地へと降り立つ。その繰り返しで神経がすり減ることは、想像に難くない。歓声だけを浴びられるわけでもなく、時には言葉の刃を向けられることもある。本当は心ある人がいるべき世界ではないんだよ。

 こんなに楽しませてもらっているのに、彼らの瞳の輝きに目が行く。いちいち悲しくなって、身を案じてもどうにもならないことくらい分かっています。きっと彼らは「ここしかない」と思って生きているのかもしれないけれど、そんなことはないよ。ここではないどこかで必ず生きられるよ。苦しいくらいのそのラップを奏でながら、君は何を思うの?

 ファンとの固い絆。もっと格好良くなって戻ってくると誓うその心は、いつまで前を向き続けられるのでしょうか。もう十分素敵だよ、そう言っても君は満足しないでしょう。芸能界に夢ばかり見て、勝手に傷ついて、ボロボロになっても、夢見ることを止められない。

 30過ぎたおっさんが17歳と飲酒する世界ですよ。飲酒した上、お持ち帰りする世界ですよ。残念ながらバカしかいません。そんなバカはへらへら生き残れるでしょう。でも間違って芸能界に入ってしまったお利口さんは?「ここしかない」ということは絶対にない。世界は君が思うより広く、そして深いのだ。

こんなに惚れていることは、もう少し秘密にしておくよ

 JRパイセン、笑うと目尻にくしゃっと皺が刻まれるんだね。春馬くんによく似ている。もう止めよう。似ているだなんだって勝手に面影を重ねられて、パイセンも堪ったもんじゃないでしょう。ごめんね。「ヨボセヨ」のMVの濃厚接触で怒り狂ってしまうほど、実は君に惚れているんだよ。こんなに惚れていることは、もう少し秘密にしておくよ。

 春馬くん、春馬くんってさ、もういないんですよ。でもね、「実際の話、どんな物語でも、本当のところそれが悲劇なのか喜劇なのかは、あなたにも僕にも、誰にも永遠にわからないことだから。」と小説『アーモンド』でも言っています。私はこの言葉に救われました。悲しんで、悲しみ抜いて、時間を掛けてでも立ち直ってみせる。

 春馬くんの目尻に刻まれる皺がとても好きだったこと。JRパイセンも同じように、笑うと目尻に皺が刻まれること。ただそれだけのことなのに、堪らなく愛しくて、寂しくてどうしようもない。そんな時は映画「パッチギ!」でオダギリジョーが歌う「悲しくてやりきれない」をYouTubeで聴くの。オダギリジョーの歌声が胸に刺さる。本当に悲しくてやりきれない人が歌っているように聴こえるから。

 ごちゃごちゃ理由をつけて、パイセンにすがっているけど、一体誰に弁明しているのだ。ジョンハンか?ジョンハン、押し付けがましさ全開のファンレターを書いてごめんね。燃やして下さい。知らぬ間にふわふわパーマになり、ぬいぐるみみたいになったね、君は。もしやぬいぐるみだったのかもしれない。今は可愛さ全開だけど、コンサートになると男性らしさが滲み出るんだよね、知ってる。

 声が通るのか、鼻声だから悪い意味で目立つのか、はたまた周りで声を張るカラットちゃんがいないからか、結構な確率でペンサ?ファンサ?を貰っているという自負がある私。でも、ジョンハンは一度も振り向いてはくれなかったね。そこがまた良し。近づくほどに遠くなるみたいなところがまた良し。

 どんどん日本のお茶の間に進出し、名声を得て行くんだろう、と考えると途端に寂しくなっちゃったけど、母上いわく「それが彼らの願いなんだから。」とのこと。ビルボード行くんか?あんたら、ビルボード行くんか?レディガガとコラボするんか?と考えていたら、遠い目をしてしまいました。喜んで送り出してあげなくちゃ。喜んでカツアゲされなくちゃ。次第に「○○しなくちゃ。」という思考になっている自分に気付きました。

 そうなったらもう潮時だ。悲しいけれど、少し距離を置こう、とパイセンにのめり込んでいたら、本気で好きになっちゃった!パイセンの目尻に刻まれる皺を見た時、泣けて仕方がなかった。ひりひりするようなラップ、聴いていて胸が苦しくなるようなラップは、私に悲しみを教えてくれました。痛みを知っているようなパイセンのラップにとても救われました。

 ジョンハンから距離を置いたことで得たものは、果たして何だったのか。実は何も手にすることが出来なかったのではないか。でもこのラップだけが私の親友なのかもしれません。胸が張り裂けそうな時、ほぼいつもですが、そんな時はパイセンのラップを聴く。
 
 痛いほどのそのラップは、私に生きていることを教えてくれます。人生の底を見た気がした時、ジョンハンが私に優しく教えてくれたように。いつも側にいてくれたように。ジョンハン、どんなに遠く離れても、諦められる筈はない。

夢から覚めた後にまた眠りたいよ

 自分ばかりが悲しんでいるような錯覚や思い上がり、それは全て、私の傲慢さから来るものだと思います。立ち直ろうともせず、いや、何をもって立ち直ると言えるのか、それすらも分かりません。お別れ会なんか行くものか。それでケリをつけられたら、どんなに楽だろうか。両親は言いました。「芸能人じゃなかったら、今頃どこかで生きていたかもしれない」と。かわいそうに。本当に悲しかっただろうね。

 私は悲劇のヒロイン気取りなのかね。会ったこともない芸能人の死にここまで動揺し、悲嘆に暮れて、一体どういうつもりなんだ。自らの手で人生を終わらせてしまった、ということをどうしても受け入れられない。いくら私が足掻こうが、どうにもならないことくらい分かります。でも、悲しくて堪らない。やりきれないんです。悲しくてやりきれないんです。一番悲しかったのは彼自身だと思うと、のたうち回りたくなる。

 両親は「もう楽になれたんだ」と言います。私もそう思いたい。だけど、その選択を選ばざるを得ないくらい苦しかったんだと思うと、いたたまれないんです。かわいそうで仕方ない。偶然ですが、四十九日に父上が彼の故郷である茨城県土浦市に仕事で行きました。父上は「東京で生きるのは辛かっただろう」と土浦の土地を見て、思ったそうです。私はお別れ会なんか行かずに、土浦の土地を見に行こう、そう思いました。どんな景色を見て育ち、子役時代から走り続けてきたのか、私がこの目で確かめちゃる。

 そうでもしないと、自分で自分を納得させないとどうにもならないから。納得なんて到底出来ません。いくらお別れ会を開こうが、基金を立ち上げようが、全ては真夏の夢のようだね。私は絶対に自分で立ち直ってみせる。時間が掛かってもいいから、いつか土浦の土地を歩く。それで私が救われるなら。夢から覚めた後にまた眠れたら、どんなに良いだろうか。いつか全てを忘れられるのなら、この悲しみも甘受しよう。泣き顔さえ真夏の夢だね。

今だけの永遠をドラマと呼ぶなら

 朝のお散歩わず。母校まで歩き、輝かしい思い出のキャンパスをしっかり目に焼き付けました。今は在校生でも用のある学生しかキャンパスに入れないようで、卒業生が懐かしんで来ても(しかも父親連れ!)到底入れないよね、ということで外から眺めるだけで終わり!多くの人が携わり、毎日手入れをしてくれているからか、キャンパスの美しさは変わらず、ますます神々しさを湛えているようにさえ見えました。何だかジーンとしちゃった。

 派手さはないものの、大学生活はとても充実していました。情けなくなったり、悔しくなったり、そんな思いさえも全て真夏の夢のよう。学問としっかり向き合った、という充足感があります。四年間、朝鮮語を続けて良かった。周りがさくさくハングル検定に合格していく中、私は苦戦しましたが、諦めないで続けて良かった。卒業後に必死で勉強し、合格を勝ち取れて良かった。

 今までしんどかったね。勉強しか拠り所を見出だせないと思い込み、勝手に追い詰められ、何度も投げ出しそうになりました。でも、投げ出す勇気が持てない。投げ出したら、廃人まっしぐらな気がしてさ、走り続けようとしてしまう。大学生の頃は、まだジョンハンもパイセンのことも知らなくて、強いて言えば、INFINITEのホヤくんが好きだったくらい。でもミュージックバンクは毎週楽しみにしていました。

 私とバチバチだった朝鮮語の先生が「INFINITEのコンサートのチケットをあげる。」と生徒に話したことがありました。でも私は全く可愛がられていなかったため、貰えるはずもなく、「誰がお前からなんか貰うか。」と教室を一番に出たことを思い出します。本当は行きたかった。ホヤくんが好きだったから。でも譲れないんです。尻尾を振れないんです。教師と蜜月関係だった生徒がおそらく貰ったんだろう、と思うと急にINFINITEのこともどうでも良くなりました。  

 あの時、INFINITEを手放した上、朝鮮語の勉強まで嫌いになって、全てを投げ出していたらおそらく今の私はいないでしょう。踏み止まるのもひとつの勇気だと知りました。投げ出したくなったら、いつでも投げ出せる。でもまだその時じゃない。考えて考えて、最善策を練れ。「将来は医者か弁護士だ。」と言われても何者にもなれなかったけど、何者かにならなくてもいいじゃん。愛があれば。

星々の悲しみ

 いつか、誰かに救われるのか、時間を掛けてでも自分で自分を救うしかないのか、なんて考えていたら、こんな時間でした。いつまでも立ち止まっているわけにはいかないし、全ては時間が解決してくれるはず。喜びも悲しみも全て真夏の夢なんです、きっと。どんなに願っても、求めても叶わない夢もある。もがいて、のたうちまわっても、手に入れられないものもある。それでも求めるのが悲しいね。

 ただの金蔓?ただの観客?それじゃ余りにも悲しい。コンサートでは、心が通い合った瞬間が確かにあったはず。何だか近づくほど遠くなるみたいだね。あの瞬間は、紛れもなく私たちだけの時間。求めて、求めて、救われて、また頑張れる気がしたよ。そうやってここまで来たんだから、これからも変わらずにいられるはず。 ただ、堪らなく寂しい。

 全て真夏の夢ならいい。近づくほどに遠くなるみたい、とはよく言ったものです。もはや私の出る幕はない。いっそのこと、全てから離れたい。離れられたらどれだけ楽だろうか。どこかで息をしてくれていたらそれだけでいい、そんな健気なことを思っていた時もありました。今もその思いは変わらないけれど、近くで息をしていて欲しいんです。私の側で。

 勝手に期待して、失望して、マルマルモリモリの言う通りですよ。でもね、マルマルモリモリ、分かったようなことを言うな。そんな言葉で片付けられたら、心なんて要らないんだよ。まだ早いよ、マルマルモリモリ。そう考えたら、ひりひりするようなラップもいつか私の心に届かなくなるのかね?

 空の青さに泣けてくるような時、一体どうしたら傷つかないでいられるのか考える。生きていること自体が悲しみなんだ、ということに気付いた時、悲しみを深く醸造しないでいられる方法を探る。そうやって、そんな面倒な自分に折り合いをつけて、何とかやり過ごす。それしか道がないから。ふとした瞬間に悲しくなって立ち竦んでいても、誰も助けてなんてくれない。

 幼少期に近所の薬局のおじさんとおばさんに「将来は医者か弁護士だね!」と太鼓判を押されたのに、結局何者にもなれなかった私。そして三十歳という若さで散った青年。私たちの時間は決して交わることはなかったけど、同じ時を生きていたんだね。かけがえのない、私だけの時間を。与えられた永遠とやらは、結局自らを終わらせなければ得られないのかもしれない。

 遅かれ早かれ、いつかは全て終わります。どうかその時まで、星々の悲しみをそっと抱えながら、ひっそりと生き続けること。どこかで息をしている大切な人を胸に抱き続けること。それだけでいい。それしか出来ないけれど、それでいい。誰も悪くないよ、きっと。 

あの場所に帰れなくなっても

 カラットちゃん、こんばんは。最近は勉強をするか、ツイッターやブログを書くか、はたまたコンサートDVDを観るか、という気ままな毎日でござる。気ままでさ、自由で余裕なんだけど、一人じゃ空しいわ。どうしたって物足りない。悲しいから音楽をひたすら聴いて、何とかやり過ごしています。ブログを書いている時は、生きている実感が得られる。

 言葉を探し、文章を紡いでいる時は、とても生き生きとしていられているはず。本当はもう勉強もやりたくない。自分から始めたいと言って、取り掛かった勉強だからさ、なかなか撤退出来ず。やるからには合格したいけど、それしか目標がなく、既に煮詰まっている。私はすぐに煮詰まるんですわ。ハングル検定の時もしんどくて堪らなくて、投げ出しそうになりました。投げ出さなかったけど。

 余計なことを考えるから自分で自分を忙しくしよう、との思いから始めた勉強。ジョンハンに少しでも近付きたくて、目指した夢。でも、近付いてどうするのさ?知らなくて良いことだって、この世の中には沢山あるはず。知らなきゃ良かった、そんなことでこの世は溢れ返っているはずだよ。わざわざ自分で傷つきに行くのは止めた方が良い。ミーハー根性剥き出し、愛のむきだしで実に滑稽。

 何が自分にとって最良の選択なのか、色々考えたよ。考えても考えても答えは出ないけど、取り敢えず勉強を頑張れ、という結論にようやく辿り着きました。だからやるしかないんだけど、もうやりたくない。ごちゃごちゃ言いたくないのに。「男は黙ってサッポロビール」が信条なのに。女ですが。次に会える約束が出来ない、それだけのことでこんなに心が抉られ、立ち竦むなんてね。

 立ち竦んでる暇があったら単語でも覚えろ。単語集を開け。悲しんでいる暇があったら、過去問を解け。やりたくないけど、やるしかないからやるだけ。そうやって何度も向かってきたから、また向き合うだけだよ。分かっています。物事は至極単純だと。単純なのに、私が勝手にこねくり回して、複雑にしているだけ。私が勝手に重く受け止めて、ひとりでのたうち回っているだけ。でもどうしようもない。

 時間は限られていて、与えられた永遠なんて本当はないのかもしれない。いつまでも続くと思っていたのは私だけで、もうすでに終わっていたのかもしれない。本当は誰かに打ち明けたい。毎日、悲しくて堪らないと。頑張ることに疲れたよ。今まで頑張ってきたという自負はある。でも、だからこそ、このまま走り続ける自信がない。全てを手放してもそこに愛が残るのなら、それでも構わない。頑張ることを頑張りがちな私たち、夜明けは未だ訪れず。

このまま、僕らの地面は乾かない

 カラットちゃん、こんにちは。あちいですね。先日は秋の気配を感じさせる風が吹いたのに。季節は移り変わり、私の気持ちも揺れ動き、少しずつ色んなことを忘れていくのかな。全て忘れられたら、どんなに楽だろうか。どんなに救われるだろうか。芸能界という虚構に夢ばかり見て、勝手に傷ついて、立ち直ろうともしない自分に嫌気が差します。

 誰とどこにいても、何をしていても、どこか空しくて空しくてさ。信じたいと願えば願うほど、なんだか切ない。簡単には会えなくなってさ、これからまた会える確証もない。次に会える約束だけで生き延びて来たのに。どんなに救われていたことか。どんなに夢見ていたことか。音楽ばかり聴いて、逃げ込んでいるよ。辛い現実から目を背けるように、音楽に逃げている。

 大好きとか愛してるとか、カッコいいとかそんなことじゃないんです。確かにカッコいいですよ。大好きですよ。でも、空しさが勝ってしまう。芸能人という存在にすがり、ままならない現実を前に途方に暮れる自分自身に、心底失望しました。気分の落ち込みが激しく、我ながら危なっかしい。危ういと自覚出来るうちは、まだ大丈夫。本当に壊れちゃったら、残念ながら気付きません。

 カラットちゃん、時間が全てを癒してくれると思いますか?自分だけ傷ついた振りをしてさ、皆一緒だよバカ野郎!皆、多かれ少なかれ傷つきながら、顔で笑って、心で泣いてるんだよ。新たな救いにすがりながら、またこの幸せもいつか終わりが来るのだろうか、と頭の片隅で考える。あれだけ永遠を見た気でいたものさえ、手放しそうになっているんだから。

 そんなに軽いものだったのか。先の見通しが立たず、いつ会えるとも分からないからって簡単に手放せるはずはない。きっと、より良く生きたいだけだよ。私はとても幸せだったはず。どの写真でも、良い顔をして笑っているから。ただの文系に戻っても、許してくれるかな?確かな明日が欲しい。信じ続ける勇気が欲しい。会えない時間が愛を育てるんだ、と信じていた時間が懐かしいよ。もう誰も失わないでいられますように。