『晩パン屋』に会いたい~♪

木皿泉の未発表小説『晩パン屋』を読みました。あらすじは秘密♪ですが「晩パン屋、晩パン屋、晩パン屋」と繰り返し言ってみると、真実が見えてきます。ただ、その真実のキャッチーさよりも、他人同士が肩を寄せあって暮らすことの愛しさと、切なさがこの話の肝。家族の可能性を考えるきっかけにもなります。

この小説を読んだあと偶然観た映画「メイジーの瞳」は、まさに血の繋がりってなんじゃらほい?そんなのカンケーねえ!そんなのカンケーねえ!(古っ)が頭の中を駆け巡りました。

6歳の少女メイジー(食べちゃいたい位可愛い)は両親が離婚した後、父親がメイジーのベビーシッターと再婚、ロック歌手の母親も新しい恋人が出来、だんだん居場所が…というお話です。メイジーのクリクリしたおめめが傷つく度にふわふわと動き、心が締めつけられます。メイジーに安心出来る居場所は見つかるのか?誰かの胸に抱かれる日は来るのか?ヒヤヒヤして観ていました。まさに彼女の瞳が痛いほど、この物語の哀しさを物語っています。
子どもは大人が思うよりもずっと、色んなことが分かっているんです。だけど子どもらしく、無邪気に振る舞うのだ。子どもって私たちが思うよりも、無邪気に生きられないものなんじゃないかなー。

『晩パン屋』や「メイジーの瞳」では、家族という枠組みが解体された中で生きることの可能性が語られています。あらゆる既存の枠組みが崩壊する社会で、揺らぎながらも柔軟に対応する人びとが、そこにはいました。