ま、私は会いたいと思ったら、コンサートに懸けるしか道はありません。ジョンハンに会いたくても、濃厚接触は望まないから。濃厚接触を望める前向きさがない。間近で会ったら最後な気がするから。心からお慕いしているのに、触れることすら望めない。こんなに好きだからこそ、近付けない。だからコンサートで時間が交わるその瞬間に全てを託す。そうやって、何度も生き長らえて来たからのう。ジョンハンに出会ってからの自分が好き。内面も外見も一皮むけた気がするのはなぜ?実際、ここ数年ですっかり大人になったらしいですぜ。髪も伸ばしているからか?よく分からないけれど、宇多田ヒカルのコンサートがひとつの大きな転機だったことは間違いない。多感な時期を宇多田ヒカルを側で感じながら過ごし、同じ時間を共有できたことは、大きな財産なのかもね。当たり前のように彼女の音楽に触れていたけれど、振り返ってみれば、全て私の身になっている。SEVENTEEN、あなたたちもそうよ。あなたたちの輝きは、全て私の糧になっている。宇多田ヒカルとSEVENTEEN、時々山下達郎、というジャンルを越えたアーティストが大好き。宇多田ヒカルのコンサート参戦がきっかけで、エイヤッ!とSEVENTEENのファンクラブに入会し、無事に「HARU」へ参戦。そう考えると2018年は大きな転換点ですな。ま、遡れば全てはWOWOWさんのお陰なのですが、この話はまた次回にでも。いや、何度もしていますが。
2017年は私にとって試練の年であり、人生に深く絶望し、道が閉ざされたと感じた年でもありました。普通ではなくなった自分を許すことが出来ず、大きな喪失感を抱え、あらゆることに懐疑的に。もう元気だった頃には戻れない、とまで確信しました。辛い中でも宇多田ヒカルのアルバム「ファントム」を聴き続け、何とか生きていたあの頃。まさか3年後は、こんなに満ち足りた気持ちで6月を迎えられるとは、思っていませんでした。両親は明日を信じ続けてくれましたが、私自身が自分を、まだ見ぬ明日を信じられませんでした。2017年で悲しみを抱え、2018年に宇多田ヒカルコンサートに癒され、2019年SEVENTEENコンサートに光を見る。まさに激動の3年間。深く絶望しても、再び立ち上がれたのは、常に音楽が側にあったからだと思います。
ジョンハン、2018年にそなたに出会い、再び立ち上がる力を得た気がするよ。そなたの熱いまなざしが、私をここまで突き動かしたよ。人生の悲しさを味わった気がしている私は、ジョンハンの目にも悲しみが浮かんでいるように見える時がある。そなたは傷付きやすいから、いつも私が包んであげたいとさえ思う。私が深く傷付いた後に出会った人だから、余計そう思ってしまうところもあるかも知れないね。悲しい目をしている人たちにシンパシーを感じるのは昔からよ。自ら人生を終わらせない限り、道は続きます。生まれた瞬間から、私たちはいつか死ぬことを知っています。だからこそ、限られた時間は大切な、愛する人たちと共有し、輝きで満たしたい。欲張りで良いんです、きっと。貪欲で良いんです、きっと。
若いうちは、はじめから時間は限られていることに意識が向かないかもしれない。私もそうでした。でも、深く自分に絶望した瞬間を経て、ジョンハンに出会い、長いと思っていた人生が急に短いことを悟りました。皆さんもいつかは悟る日が来ると思います。もう既に悟っているカラットちゃんもいらっしゃると思います。私はそのきっかけがジョンハンでした。だから人一倍思い入れが強い。そなたの行く末を案じてしまう。瞳の奥を覗き込んでしまう。笑顔の奥の瞳の輝きに目を向けてしまう。長くなってしまいましたが、あなた以外、思い残さない。