さよならなんて大嫌い

 カラットちゃん、こんにちは。突然の訃報に言葉もありません。今日はひっそりと彼を偲ぼうと思い、ブログを書きました。何にそんなに苦しめられていたのか。一部ではネットの誹謗中傷に悩んでいたとも言われていますが、理由なんてどうでもいい、と言っては語弊があるかもしれません。ただ、彼が生きることを諦めさせたこの世が悲しいよ。

 私は誹謗中傷だけが原因ではないと思います。追って詳細が報道されるかもしれないし、されないかもしれないけれど、ただただ寂しい。NHKのJUJUとの番組でも、一生懸命言葉を紡いでいたものね。一切手を抜いていなかったものね。いつも世界中の可愛いものに感心して、キラキラした瞳を輝かせて、言葉を紡いでいたものね。もうどうしたらいい?もし、彼の正義感が彼自身を苦しめていたとしたら、あまりにも救いがない。

 こんなに悲しい最期は微塵も想像しておらず、彼にしか分からない悲しみがあったのだと思います。でもそれで彼が救われたのなら、それはそれで送り出してあげるべきなのかもしれない。もう苦しくないのなら、それで良いのかもしれない。残された人間は悩み、悲しみ、途方に暮れるかもしれませんが、それも生きていればこそ。もう悲しい思いはしていないのなら、それで良いのかもしれない。

 真実を知ろうとするより、真実なんてどこを探しても見つからないのではないでしょうか。全てを知ろうとすることの浅ましさよ。憶測だけで人は平気で語れるし、憶測を酒の肴に出来る人もいるでしょう。それはあまりにも無責任で非情ではありませんか?悲しい夜に限って雨は降り続くし、夜明けは永遠に訪れない気さえする。彼もそんな夜を過ごしていたのかな。悲しいね。
 
 公園で無邪気に遊ぶ幼子を見ると「このちびっ子たちは、あと何十年も生きなきゃいけないんだなあ。」と思ってしまう時があります。そんなふとした諦めや、絶望が積み重なった結果、自ら死を引き寄せてしまうのかもしれません。

 せめて生まれ変わったら、もうこんな世の中に生まれて来たくはないかもしれない。けれど、もし生まれ変わったら、おじいさんになって、ふかふかのお布団で眠るように旅立ってね。彼がもう悲しくないのなら、それでいい。