おやすみ

 カラットちゃん、悲しみの向こう岸に、微笑みがあると思う?永遠に消えないように感じられる悲しみを乗り越えたら、その先は微笑みが待っていると思う?私にはよく分からないよ。ヤフーで春馬くんに対する無責任な記事を読み、沸々と怒りが込み上げてきました。本当に無責任だし、世の中にはどう頑張っても、どうにもならないことがある、ということをこのおばはんは知らないのか。

 人の善意だけで乗り越えられたら、そんな楽な話はない。どうにもならなかったから、こうなったんだし、それは誰にも責められないよ。おばはんが言及する権利はないし、そんな権利は、誰も持ち合わせていないはず。思い上がるな。私は彼が亡くなり、真っ先に「何も分からずにごめんね。」と思いました。私がもっと大好きだと伝えていれば、なんて、そんな思い上がりはしませんよ。

 だってね、いくらお慕いしていますと伝えたところで、響かない人には響かないんですよ。言葉の持つ力を信じているけれど、それと同時に、言葉の無力さも分かっているつもりです。そんな言葉に救われていたら、こんな結末は迎えません。おばはんは、生前にもっと愛を叫べや、という話でしょう?いやいや、どんなに愛を伝えたところで、それがもし彼に響いたとしても、全ては彼にしか分からないんですよ。

 だから遅いも早いもありませんよ。失ってはじめて、いかに好きだったのか気付かされることもあるよ。数年前のFNS歌謡祭でさ、春馬くんが郷ひろみと「言えないよ」を歌っていたんです。短髪で凛々しいんだけど、歌い方がどこか爺臭くてさ、何だかとても可愛いね、と母上と話したことを思い出します。若いのにおっさんみたいなのよ。すごく可愛くて、やっぱり好きだとしみじみしちゃいましたよ。本当に魅力的さ。

 どんなに笑顔でも、その裏に抱えたものなんて誰にも分からないし、「もしかしたら救えたかもしれない」と思うこと自体、とんだ思い上がりだと思います。彼自身が決めたその選択は、余りにも悲痛ですが、それしかなかった、それしかないと思うくらい、しんどかったんだ、ということに思いを寄せたい。

 この記事を書いたおばはんは、自分が神にでもなったつもりなんすか?分からないんですよ。人の気持ちなんて、本当は誰にも分からないんですよ。ただ、その選択肢しか選べないくらい悲しかったんだろう、ということに思いを馳せることは出来ますやん?違いますか。分かったようなことならいくらでも言えます。そこに心がないなら。

 「何も分からなかった。」という悲しみ。くしゃっと笑う、あの素敵な笑顔の裏で、どうにもならないものを抱えていたのではないか、という悲壮。しかし私自身が「何も分からなかった。」と悲しむのも、何だか違うのかね。だって彼は素敵な俳優だから。悲しいくらい、演技がお上手だから。さよなら、春馬くん。まだ見ぬ息子の名前は「春馬」に決めていたんだよ。

 必死で色々考えて、何とか自分を納得させようとしたけれど、納得することは、なかなか難しい。頼れるものは、時間しかないのかもしれない。その時間さえも、私には半信半疑だけど。永遠に失われた、と思ったけれど、もしかしたら永遠に生き続けるのかもしれない。年を取らない代わりに、私の心の中で永遠に生き続ける。まるでタイタニックのジャックのように。
 
 年を取れる、というのは、実は贅沢なことなのかもしれません。永遠の30歳、30年間、よく頑張ったね。もう頑張らなくても良いよ。ここまで走り続けて、本当によく頑張ったね。いつの日かまた、会えたとしたら、大空で抱きしめて。