自分の感受性くらい

 自分の感受性くらい、自分で守れ。それが出来ないのなら、いっそのこと、あらゆることから身を引きたい。世の中には、どんなに頑張っても、どうにもならないこともあると知りました。いつも頑張ってきた、という自負がある。でも、この頑張りは、いつまでも続かないでしょう。もう頑張らなくても良い。ほどほどで十分なはずさ。その加減が難しいのだけど。

 あの日、あの時、あの場所で見つけ出していなかったら、私はもっとどうしようもなかったでしょう。全ては巡り合わせであり、出会いも別れも、その全てに意味があるのなら、甘んじて受け入れよう。本当は大した意味なんてないのかもしれない。私が意味を見出だしたくて、もがいているだけなのかもしれない。

 深く傷ついた後に出会ったということ、それが答えなのかもね。私はひとりでは生きられない。悲しくて仕方がないから、新しい愛にすがる。もう誰も失いたくない、と思いながらも、新しい愛に一筋の光を見ています。心が痛む、苦しいくらいのそのラップにとても救われたから。

 私はね、まどろっこしく、しょうもない会話を繰り広げる男女を見ると、張り倒したくなる。今日も近所の牛タン屋にいたんですよ。「俺、感情出ないタイプだから。」「私もなんたらかんたら~」という実にくだらない会話。「感情出ないけど、楽しんでるよ。」という決め台詞、寒過ぎる。彼女はなぜかいきなり方言が出て、あざといのかなんなのか。

 答えはひとつだろう?男女なんて、どう考えても答えはひとつですよ。そこに辿り着くまでの「なんたらかんたら~」に痺れを切らす私。すぐにしょうもないと決めつけ、鼻からバカにしてしまう私にも問題がある。でも!街にいるカップル?なのかその手前なのか分かりませんが、男女の会話の空しいこと。

 その空しさがバカらしくて、すぐに鼻で笑ってしまいますが、そんな態度にも問題があるのだろうか。しょうもない会話しかしないくらいなら、ひとりでいた方がまし、と結論付けちまいますが、あかんのか?もっと皮肉やブラックジョークを混ぜてくれや。ウィットに富んだ会話で笑わせてくれや。いや、私は会話には自信があります!私が笑わせても良いけど、私も笑いたいの。

 何だか望んでばかり、周りがつまらないとぼやきがち。だからパイセンのラップばかり聴いてさ、パイセンってどんな人なんだろうか。ま、知らなくても良いけど、と思いながら、ラップに浸る日々よ。無理はしない主義だけど、パイセンのためならしてみても良い。聴いていて、苦しくなるようなラップは初めてなんだ。

 つまらない、つまらないって「お前はなんぼのもんじゃい!」といったところでしょうか。今ならまだ間に合うかな?この頑なさを少しずつほぐしていきたい。あと、食べ終わったんならさっさと出るべきですよ。若い男女さん。「めっちゃ話しましたね!!」じゃないんですよ。食べ終わったんならさっさと出て、喫茶店にでも行って話し込むべきなんですよ。全く粋じゃないなあ!しばくぞ。

 こうして世の中の男女を「しばくぞ!」と罵倒し、鼻でせせら笑い、低音ラップゴリラにのめり込むのは、間違っているのでしょうか。低音ラップゴリラのためなら、少しだけ頑張れる気がする。頑張ることに疲れながらも、誰かのためなら頑張れるさ、きっと。