雨が降るから君に会いたい

 立ち竦んでいる暇があったら、単語のひとつでも覚えろ。目が覚めた瞬間から襲ってくる悲しみには、それを凌駕するほどの熱量を持った何かで立ち向かわねばならぬ。今の私にとって、それは勉強に他なりません。資格試験合格に向けた勉強に邁進するのみ。悲しいだ寂しいだ、生きていて欲しかったなんて抜かしている暇があったら勉強しろ。

 その美しさゆえに長くは生きられなかった、ただそれだけのこと。ただそれだけのことなんです。それを私が勝手に浸り、悲しみに酔うが如く立ち止まっているに過ぎない。大好きだった、という思いを胸に進め。その気持ちに嘘偽りはないのだから、胸を張って進め。とても魅力的だったこと、忘れません。早くおばあちゃんになって、全てを忘れたいと思ったこともありました。でも、好きだった気持ちは忘れたくない。

 その気持ちは、私が生きた証だから。確かに恋をして、輝きを放った証だから。納得しなくても良い。腑に落ちなくても良い。全てを分かったような気持ちにならなくても良い。何も分からないけれど、確かに好きだったということ、それだけが真実であり、答えだよね。今日は少し落ち込んだりもしたけれど、誰かを好きになる気持ちは素晴らしい。その気持ちこそ、生きている証ではないか。

 すごく私の性格の悪さが露呈する話をしても良いかい?以前、近所の焼きとん屋へ家族で行きました。私たちのテーブルの近くにおばはん二人組が座り、捲し立てるようにマシンガントークを繰り広げる始末。そんな中、私と母上がメニューをパラパラと見ると、店員のお兄ちゃんが飛んできてくれました。

 しかしおばはんがメニューを見ようが、店員を呼ぼうが、一向にお兄ちゃんは歩み寄らず。挙げ句の果てに、カウンターから「どうぞ~」と注文を取り始めました。歩み寄ってやれよ、と思う反面、そうやって差をつけられる時こそ、生きている実感が得られる。生きていて良かったと心から思う。

  しかし今日の行きつけの焼きとん屋では、お気に入りの店長が小汚いおばあの客と懇意になり、「メラメラ🔥」と怒り心頭。父上は「あんなおばあだし、仕事だからw」と笑いますが、そういうことではない。おばあ相手にムキになるな、と言われてもイヤなんですよ。今まで我が家と適度な距離感でいたのに、いきなりやって来たおばあに見せる親しみが憎らしい。確かにジェラシーを覚えるほどの相手ではありません。でもイヤなんですよ。ムキー!!

 ああ、私って生きてるな。好きになったり、怒り狂ったり、男女に限らずですが、痴情のもつれは厄介だ。あからさまに差をつけられると気分が良い。もっと見せつけたいと欲が出る。おばはんを叩きのめしたいとサディスティックになる。側にいる人よりも、知らない人の視線だけが私を支えているから。悩み、傷つきながらも、結局は愛されたい。ただそれだけ。