気分に任せよう

 悶々と考え続けていたら、夜が更けていました。あの日から時が止まり、心が壊れていたことに気付かない振りをしてパイセンへ逃避。このままいつまでも逃げ切れると思うな。さて、いきなりですが、『星々の悲しみ』という宮本輝の小説に、若くして病で早世する美青年が登場します。私はこの小説の表題である『星々の悲しみ』という言葉が持つ物悲しさに心惹かれました。

 それと同時に「明るい場所へ続く道が明るいとは限らない」という宇多田ヒカルの歌詞を思い出しました。芸能界という一見華やかに見える世界に魅了され、自らその道へ飛び込む者、また時機を伺いながら飛び込もうとする者、そんな若者は多いと思います。でも、蓋を開けると、どんなにきらびやかに見える世界でも、現実は泥臭いものだと思います。

 『星々の悲しみ』が訴えかけるものはきっと、美しいとされるもの、つまり若さや美しさ、そして清廉さといったものは、失われて初めて気付くのだということです。当たり前に存在するものだとどこかで思っていたその傲慢さ、そして過信は、あの日から打ち砕かれたのです。

 以前も書きましたが、中学生の頃に、テレビ局のドンである親戚から芸能界入りを止められた私は、「身内は止めるのに、そこら辺の女の子は働かせるんだな。」と子供心に思いました。勿論、私が入りたいと言ったわけでも、芸能人に会わせてくれと頼んだわけでもありません。

 話の流れで「芸能界に入りたいと思っちゃいけないよ。あそこはおすすめ出来ないからね。」と釘を刺されたことを、27歳の現在に至るまでひっそりと守り続けてきただけに過ぎません。芸能界で思い起こされるのは、「息子の目が細いため、ジャニーズには入れられない」と笑って話す教師のことです。

 それに対し、「子どもをジャニーズに入れ働かせ、それに乗っかって生きていく親に憧れるんか?そこに愛はあるんか?」なんて本気で思っていた私は、そもそも小さい子どもを芸能界に入れる親に憤りを感じていました。そんなことを教師ですら分からず、「子どもで稼ごうとするな」というシンプルな理屈が通らないもどかしさがありました。

 結局、芸能人は金のなる木に過ぎない。その肩にのし掛かる重圧は、失って初めて想像できるのだと思います。何も死ななくても良かったじゃないか、と考え始めたらキリがなく、そこに至るまでに誰か救えなかったのか、と思うと怒りに震えます。

 皆、自分さえ良ければいい。自分さえ話題になり、世間から注目を集められれば、それでいい。そんな世界に君は入りたいのかい?おい、そこの君よ。SNSでバズッて、フィリピンで一躍大スターになった男性をニュースで観ましたが、この結果が本当に幸せだったのか、実は不幸への始まりだったのかは、後々分かることでしょう。

 皆、物事を点で考えすぎな気がするよ。私も含めて、線で考えないと。点が繋がり、やがて線になることを見越さないと、この世は生き抜けない。「今」だけを見るのではなく、今があるのなら「過去」と「未来」があること。今を疎かにすると、過去も未来も閉ざされるということ、分かりますかな?

 私も自分で言っていて、よく分からないや。つまり、亡くなった人は、物事を点でしか見られない状況に追い詰められていたということです。私も亡くなった人のことばかり思い続け、点に囚われていました。しかし生きるということは、点と線の連続です。

 おそらく「明るい場所へ続く道が明るいとは限らない」という道を歩んできたであろう彼は、いつしか笑顔で全てを隠すことを学んでしまったのかもしれません。何も気付かなかった。何も気付けなかった。もし気付いたとしても、何も出来ないかもしれないけれど、ただ隣にいたかった。

 何も死ななくても良かったじゃないか、という思いが拭えず、わめき散らしたいよ。点が線になり、やがて面になることを君は知っていたはずだよ。「これで楽になれた」とか「彼が決めたことだから」とか、二度と言うな。最後の瞬間まで生きたかったはずだよ。誰も好き好んで死にやしないよ。

 自ら命を絶つということは、相当なことです。それを劇的に報じるだけ報じて、最後に命の電話のダイヤルをテロップで流すだけで仕事した気か?そんなこの世の全てが憎らしい。無責任にも程がある。「受け入れようとしなくてもいいし、納得しようとしなくてもいい」と先生は言いました。

 先生、怒りのエネルギーだけで持ちこたえている私は、いつかポキッと折れるのでしょうか。その先に何が待ち受けているのか、それは誰にも分からない。好きだけど、好きなのに、好きだからこそ、勝手に死んじゃったことを受け入れられるはずがない。いまだに涙は枯れないよ。振り返るな、諦めるな。