北極星

 カラットちゃん、お元気ですか?連日の訃報にくたびれてないかい?私はさ、何だか全てが憎らしくて堪りません。自ら死を選ぶくらい苦しく、生きることが耐え難かったであろう人がこんなにもいるんだ、ということ、ちょっとしたことが全ての引き金になるのかもしれないということ、私にとってはちょっとしたことでも、他の人にとっては、それでは済まされないであろうこと、そんなことを考えていたら疲れました。

 私も幾度となく「もういいかな」と思いつつ、結局ダラダラと生きています。 人の生死について考え始めるとキリがなく、時には私自身が「生きている価値がない」と思うことさえ傲慢だとも思います。幾度となく襲ってくる大きな「もういいかな」という波にいつまで抗えるのか、それは誰にも分かりません。

 しかしここまで訃報が続くと、そりゃ引きずられる人も出てくるだろう。最後の一押しには十分なり得ると考えます。小学校低学年の頃、事故で亡くなった幼稚園の同級生もいれば、29歳で自ら死を選ぶ人もいる。サイコロの目がどう出るかなんて、誰にも分からないのだ。

 また先日の訃報を受けて「子どもを遺して逝くなんて!」と憤る人もいるかもしれないけれど、そんなことは誰にも言う権利はないよ。推して知るべし。誰も好き好んで死にやしないですよ。どうにもならないとの考えに行き着いた末の結果に過ぎません。きっと。私だって芸能人にポンポン死なれて、正直途方に暮れています。

 「大切な人を大切にする。それだけでいいんです。」と宇多田ヒカルは言います。本当にその通りだけど、それが実は一番難しいね。何で一人で死んじゃったんだ、と憤っても、君はもう戻らない。私はズルズルと生きているだけなのに、何で君は決断してしまったんだ、と考えてもどうにもならない。

 これだけ年齢の近い人の訃報が続くと、勉強ばかりして、必死に生きようとしている自分が馬鹿馬鹿しく思える。生きている方がバカみたいじゃない?決してそんなことはないのかもしれないけれど、何だかプツンと切れそうだよ。亡くなった人のことは、誰も悪くは言えません。でも、何かが違う気がする。この違和感は何だ?

 ネットにはどうせ「ご冥福をお祈りします」とか「安らかに」とか、そんな言葉が溢れているのかもしれないけれど、そんな台詞はもういらないよ。何も言うな。自戒を込めて言うけれど、死にたい夜を何度も越えろ。越えられなくて力尽きた人のことは、何も言うな。