ふたり

 木皿泉の名台詞を見ていると、救われたような気持ちになります。私ばかりが頑張っているような寂しさ、気負いのようなものが実は間違っていなかったのだと感じます。皆、多かれ少なかれその寂しさを感じながら、でも、誰かと一緒にいたくて、もっと話したくて、誰かの温もりを感じていたいのだと思います。

 もっとその気持ちに正直になればいいのに、あれこれ考えて足がすくむね。木皿泉は、一人では自由でも余裕でもどこか空しいだろう?と私たちに優しく問いかけます。一人だと余裕なんです。自分の気持ちの赴くまま行動すればいいから、全てが予測可能なんです。でも、予測可能な生き方はつまらない。

 あれこれ言い訳して、周りが悪いのだと思い込み、結局自分が傷つくのが怖いから何も進まない。そんなおばはんになるくらいなら、舌を噛み切って自害します。東京の夕暮れはどこか寂しげ。こんなに沢山の人がいるのに、時々本当は何もないような気がして怖くなります。そんな時、私だけの帰る家があることに心から安堵し、自分だけの城の存在がとても愛しく思えるのです。

 どんなことでもいつかは終わります。でも、終わりに目を向けるのではなく、終わりまでの長い道のりに目を向けましょう。果てしない、途方もない時間が自分に残されているような気がしたあの頃。しかし最近、長いと思っていた人生が急に短く感じられるようになりました。それは私にとって思いがけない幸福です。

 木皿泉が言いたいことは、つまり「ふたり」でいなさい、と言うことなのかもしれません。一人で見られる景色には限界があり、人生に懐疑的だったトキちゃん(木皿泉を構成する一員であり、奥様)は、トムちゃん(木皿泉を構成する一員であり、ご主人)との出会いによって、ものの見方が変わったというようなことを話していました。

 出会いは劇的なものでなくてもいい。ただ、ほんのりとした温もりを感じられればそれでいい。ようやくそんなことが分かってきた気がします。友情にしろ、愛情にしろ、全ては情です。沢山の愛情を受けて育ったのなら、その分、沢山の愛情を返すべきなんです。心を繋ぎ合えたら、それ以上何も要らないね。