きっと、ずっと、今日よりもっと

 今日は、やはり繋がっている、と確信したお話を。先日、私がお慕いしている作家、木皿泉さんが講演会を開いたそうです。その時、「今の若者に読んで欲しい本は?」という問いに対し、小松左京の『復活の日』と答えたと知りました。それを聞き、私が椅子から転げ落ちたことはいうまでもありません。

 コロナウイルスの出現により、何かヒントが欲しいと本棚から引っ張り出し、この本を読んでいた私。まさかそのタイトルが彼らの口から出るとは思ってもおらず、「やはり彼らは明日を信じているんだ、僭越ながら私も…」とまた好きになりました。どんな時も思い詰めがちな私は、不思議とこのウイルスには参っておらず、それはなぜか考えました。

 おそらく、それは私が好きな時に出掛けて、好きな時におこもりすればいい、という自由な身であるからだと気付きました。毎日通学や出勤を強いられていないからこそ、大したダメージを受けていないのかもしれません。父上は周りの人に私を「文化人」と紹介していると言って笑いますが、私自身も高等遊民を自負しています。でも、ずっとこのままでもいられないのでしょう。

 言ってしまえば、することがないから本を読んでいるわけだし、何も偉くないんです。何も偉くないのに、自尊心だけはあるから厄介。本当は人にあれ読め、これ読めって言いたい。実際、私も色々言われてきて、大人しく従ったこともありました。でも、残念ながら大して面白くないのさ。だから人にも気安くは言えないよね。

 「楽しいこと」だけをしていられたらどんなに楽だろう。でも、楽しいことばかりを続けていても空しくなるのはなぜだろう。ミンヒョンさん、教えて欲しいよ。昨夜は不意討ちで三浦春馬を食らってしまい、動悸が止まらなくなりました。春馬、なんで死んじゃったんだ。もっと死ぬべき人間は他にいるだろう?なんで春馬なんだ。よりによって、なんで春馬なんだ。

 しかし、これも全て定めなのでしょう。悲しいけれど、寿命だったのかもしれないね。春馬の電池の寿命。問い続けてもそこに答えはなく、だからこそ音楽に、本に救いを見出だしたいのかもしれない。木皿泉がまたヒントをくれるかもしれない、と新作小説『さざなみのよる』を買いました。

ハッ!自分のブログでまた泣きそう!木皿さんの台詞に「どんなところにいても、誰かがいればまた戻ってこれる」というようなものがありました。あんたには誰もおらんかったんか、と思うといたたまれないんだ。あんなに周りに沢山の人が、取り巻きがいたのに、ひとりやったんか。ごめんね。