春の夢

 心が沈んで眠れないのです。原因は分かっています。春馬よ、なんで死んじゃったのかなーと思うと、気付いたら泣いています。春馬が小鳥だったら、私の元にやってきた小鳥だったら良かったのに。どうして皆、平気でいられるんだろうか。平気そうに見えて実は平気じゃないのかな。私は本当にだめなんです。叫び出したくなるくらい、心が悲鳴を上げていることが分かる。

 たかが芸能人、私とは言葉も交わしたことのない、会ったこともない芸能人なのに、こんなにも心が抉られるのはなぜ。それは私がお慕いしていたからに他なりません。春馬がいなくなった席には新しい人が座り、番組は続いています。まるで最初からそこに春馬がいなかったかのようにね。そうやって皆、日常を取り戻すかのように振る舞います。

 でも私の日常は、彩りが失われたまま、彼の笑顔だけを追い求め、「JUJUのこと、あんまり好きそうじゃないところが好きだなー。」と思っていたあの頃へ帰りたくなるのです。別に前へ進むのが悪いという話ではなく、立ち止まり続ける私を美徳としたいわけでもありません。ただ、無性に腹立たしいのです。春馬が死ななきゃならなかったこの世が憎い。顔が可愛いからって芸能界入りさせた親が憎い。

 芸能界なんか入らなければ、今頃はどこかで生きていたかもしれないのに。皆、使い捨ての駒に過ぎません。駒にだって心はあるんですよ。春馬、君の命日から5ヶ月後の12月18日に私の愛鳥が旅立ったよ。春馬も失い、愛鳥も失い、皆死んでしまうこの世がいやになりました。竹内結子まで死ななくてもいいでしょう?と思うと、悲しくてやりきれなくなる。

 桜塚やっくんだって死んじゃったし、老衰以外の死は余りにも悲しい。ましてや自死なんて耐えられないんです。好きな人が下した決断だとしたら、それを受け入れろという方がどうかしているのではないでしょうか。「無理に納得しなくてもいいし、受け入れようとしなくてもいい」と話してくれたその人は、私の一番の味方のように思います。

 春馬が死んで悲しい。春馬が死ななきゃならなかったこの世が悲しい。私が生きていること自体が悲しい。そうやって誰かに話したいんです。幸い、母上は黙って聞いてくれますが、私が余りにも泣くため、母上もしんどいかもしれません。だから夜中にひっそりとブログを書き、泣きながら眠るのでしょう。

 今年は春馬で始まり、春馬で終わるよ。いつまでも夢を見ていたい。春馬の夢を。そして私はあの日に帰りたい。小学校の卒業アルバムの写真撮影で、上手く笑えない私を一生懸命笑わせようとしてくれた二人の男の子。彼らに見守られながら、ハニカミながら笑う私は、誰よりも幸せだったこと。今なら全て分かります。あの瞬間に愛が生まれていたことを。

 6年間の小学校生活で青春を駆け抜けてしまった私は、あの時以降は余生に過ぎません。暇を持て余し、時折叫び出したくなるくらいの寂しさを味わい、ただ涙する日々。助けて欲しいと思いながら、誰にもSOSを出せずに来たのなら最後まで行け。本当は愛し、愛されることを誰よりも望んでいるのにね。