忘れたくないこと

 こんばんは。ステイホームを緩く守り、読書と映画鑑賞に明け暮れる日々です。電車にもしばらく乗っていないし、乗らなくてもなんとかなることに気付きました。意外に色んなことがなんとかなってしまうと同時に、無くても困らないものが炙り出されてしまう現実。残酷ですね。私にとってのガソリン、つまりエネルギーは本であり、映画であることも改めて突き付けられました。

 先日ゲットした文芸誌『ユリイカ』がとっても面白くて、寝食を忘れて読み耽っています。勢いで大好きな筒井康隆のムックも買いましたが、ムックってあれだね。内輪ノリの最たるものかもしれないね。ファンのあーだこーだは割愛し、筒井康隆の言葉だけ読もうかしら。木皿泉のムックには内輪ノリ的な要素はあまり感じず、むしろ連帯を感じ取った気がしたけど。ムムム。

 ファンのあーだこーだがムック本の醍醐味でござる!と言われればそれまでだけどさ。ま、気楽に読み進めますわ。『ユリイカ』は良いですぞ。韓国映画特集が実に濃く、満足度も高く、次に控えるカズオ・イシグロ特集も期待大。しかし本を読めば読むほど、映画を観れば観るほど、私自身が人生に飢えていることを思い知らされます。 

 きっとその飢えこそが探究心を支え、読んだものや観たものが私を形作るのでしょう。そう思うと、グレートハンガーも悪くないのかも。(映画「バーニング」参照)この飢えを形に変えた方がよろしい?よろしおすか?と思い、とある小さな作文コンテストにエッセイを出品し、作品賞を貰いました。ま、大したことないけど、少しだけ自信に繋がりました。

 誰かが見てくれるというだけでいい。気難しく、難解な心を解すには文章しかないんです。読書量が増え、ますます性格が面倒臭くなってしまったかも!と危惧したり、何かと毎日忙しいです。日々「楽しいこと」をすることが許されている私は、結局本を読むことが一番楽しいんかい!ルネッサーンス!(髭男爵)とワインを燻らせたいくらいよ。

 髭男爵の山田ルイ53世だっけ?がかつて言っていました。「世の中の全てのことに意味がないとあかんか?」と。私もそう思う。山田さんは確か6年くらい引きこもっていた時期があり、当時のことを雑誌の記者に聞かれ、毎回「6年間の意味」を尋ねられる。意味なんてその道中では分かりっこないじゃん。振り返ると、そこが道になっていたというだけの話ちゃうんか?

 「意味」に重きを置くと、例えば古代ローマ史なんて今学んで何の意味があるん?ギリシャ語解読してどうなるん?という議論に繋がりかねない。それがお役所の文系学部軽視っす。「意味」ではなくプロセス、物事を順序立てて整理し、無理矢理でもプロセスに意味を持たせる。振り返ると、形になっているのが学問じゃよ。

 引きこもりは回復までのプロセスに過ぎないはずだし、引きこもった意味なんかを問うのはナンセンスじゃない?つまり、何が言いたいのかと言うと、社会全体が結果を求め、その過程をすっ飛ばしているきらいがある。過程がなきゃ結果も生まれないのに、いきなり成功体験を語らせるシューカツ。実にくだらん。

 決められた枠に、望まれる人物像に収まることは、国家としての衰退を意味すると思うの。それは言ってしまえば、国が管理しやすい人間を望んでいることにひれ伏すことだから。その点で私が韓国に惹かれるのは、「自分の手で社会は変えるし、変わる。はよ変われやボケ!」と信じている人が多いように見受けられるからなのだ。『ユリイカ』を読んで、ますますそう思いました。

 え?なんかめちゃくちゃアツくない?アツく語りすぎ?てへ。「別に今死んでも、80歳になって死んでも何も変わらないじゃん?」と思っていた木皿泉(女性)ことトキちゃんの気持ちがよく分かる。でも、人は生まれ落ちた瞬間から世界と関わり、どうしようもなくこの世と関わり、降りたくても降りられないのが生きるってことだと思う。

 家族や友人、そして恋人など、どうしようもなく結ばれた人たちに囲まれて、「降りたくても降りられない」という幸福を噛み締める時がきっと、あなたにも私にも訪れるはずだよ。