芸能人の内輪ネタにヒーヒーうつつを抜かすほど、暇じゃありませんよ。さて、昨夜はなぜこんなにジョンハンに思い入れがあるんだろうかと考えていました。ジョンハンは勿論ハンサムで茶目っ気もあり、平気で憎まれ口を叩くような人だけど、どこか寂しさも感じさせるんですよね。
私は自分が病気をしたことと、ジョンハンにもしんどい時期があったことを重ね合わせているからこそ、こんなに深く思っているのかもしれません。私は病名こそ明かせないけれど、あの入院生活は相当堪えました。自分が外の世界と隔絶されたことは、はっきり分かったから。早く外の世界の一員になりたい、とひたすら祈る毎日。
なかなか合う薬が見つからず、辛かったです。そんな経験があるからこそ、ジョンハンが味わっていたであろう苦しみに思いを馳せてしまいます。ジョンハン、しんどかっただろうね。だからジョンハンを思うことは、私にとって生きることでもあるんです。ジョンハンが生きていてくれることが私の希望だから。
私は病気になって、結婚も出産も諦めました。もともと結婚したいとか、どうしても子どもが欲しいという思いは無かったのが救いですが、やはり自分には届かないものもあるんだなーと思い知りました。前の主治医は聞いてもいないのに「結婚も出来るし出産も出来る。」と言ってきたけれど、それが逆に、今の私には高いハードルであると突き付けられた気がしました。
そんなこともあって、何の為に生きているんだろうと模索する日々。でもジョンハンに出会って、人はやはり誰かを愛するために生まれてきたんじゃないかと思うようになりました。そして自分も沢山の人に愛されてきたのだと。私も両親や祖母、そして恩師や第二の祖父と慕えるような人に出会えて、人生は意外に明るいものではないかと考えられるようになりました。
勿論入院は衝撃だったけど、まだ26年しか生きていないし、それで人生を悟ってしまうようではあまりにも悲しい。いや、昔から悟ってはいたんです。 でも意外に「こんなものか。」では終わらないのが人生なのかもしれない。やはりそれは人と関わらなければ味わえない感情であり、自分から縁を紡ぐ努力をしていない私にとっては、なかなか得難いものでもあります。
でも旧友に会ったとて今の私に何が話せる?働いてもいないのに、へらへら会わせる顔がないというのが正直なところ。この思いを払拭しなければ、永遠に縁は紡げないよね。私は第二の祖父と慕う人物に退院したあと手紙を出したんです。そこで「アルバイトで張り切りすぎて体調を崩し、3ヶ月ほど入院した。」と書きました。
それからやり取りは続き、一度またお会いしたいと思ったけれど、今度は向こうが何らかの理由で弱ってしまったのか、なかなか会えず今に至ります。また手紙を出してみようかなー。自分からアクションを起こすとなると、途端に億劫になってしまうこの性格よ。
でも人恋しい。ジョンハン、寂しいよ。もうすぐ会えるかもしれないから、その日を励みにハングル検定頑張るね。私にはジョンハンしかいないんです。私の心の中にあなたがいる、いついかなる時も。