カラットちゃん、「花の20代をジョンハンに捧げちまうだろうが!!」とぶちギレても良いですか?ぶちギレつつも、見守り続ける勇気を私に下さい。これが幸せなら、もっと欲しい。絶え間なく供給され、甘受する日々よ。
いつかは終わりが来るのかもしれない。ただ、終わりに目を向けるのではなく、限られた時間を捧げようとする最後の力を振り絞りたい。本当は、もう走れないかもしれない。SEVENTEENに青春を見て、ここまで走ってきた気がする私ですが、もう走れないかもしれない。
もはやひっそりと身を引くしか道がないと思いました。しかしどんなに遠く離れても諦められるはずがないと悟りました。いや、諦めて堪るか、という思いもある。時に立ち竦むことがあっても、一旦立ち止まり、再び向かい合えば良いのではないか。
もう走れない、いや、まだ戦えると迷いながら、時間は流れて行きました。勝ち目のない戦いに身を投じているのは紛れもない真実。救われなくても、報われなくても、信じ続けることを止めない者だけが辿り着ける景色があるかもしれない。
その景色を見たいというより、ジョンハンを信じ続けたいという思いが強いことを知りました。ひっそりと眠り続けた時間が教えてくれたことは、愛情に疲れたなら、一旦身を引くということ。渦中にいることにこだわらず、離れてみる勇気を持つこと。
流れ行く時間が私の立ち位置を変えるかもしれないし、変えないかもしれない。新たなステージから彼らを見つめるかもしれないし、見つめることはもうないかもしれない。きっと、それで良いのかもしれないね。
ジョンハン、お主に捧げた時間はかけがえのないものでした。これからもよろしくね、という気持ちでずっといられますように。いつか離れる時が来ても、笑顔でさよならを言えますように。
病める時も、健やかなる時も、嵐の日も、雨の日も共に歩もう。歩めたらいいね。芸能生活が長いジョンハン青年に言えることはなにもないけれど、どんな時も味方でいてくれる12人の友人に恵まれたことは、私の幸せです。
かけがえのない仲間たちに囲まれながら、ジョンハン青年がジョンハン中年に差し掛かるのを側で見ていたいな。一緒に年を重ね、いくつになっても「カラットちゃ~ん!」と呼び掛けて欲しい。
カラットちゃんに惜しみない愛情を注いでくれている、といつまでも感じさせて欲しい。悲しいことなんて全て忘れさせて欲しい。 なんだか求めてばかりだね。
そして愛情に疲れた時は、ひっそりと眠る私も許して欲しい。ジョンハン青年よ、いくつになっても幼子の面影を残す、可愛い可愛い青年よ。多くのカラットちゃんは、その優しい眼差しに救われているんだよ、きっと。