昨夜のNHKのJUJUとの番組に映る彼を見ただけで、もうだめでした。一応録画したものの、おそらく観られないでしょう。私が人の死に接したのは、小学校高学年の時、祖父が亡くなったことが最初でした。祖父の死はいまだに悲しく、涙が溢れる日もあります。
でも人はいつか終わる。生まれてきたからには、終わりへと続く道を歩いていくのだと思います。しかし私が好きだった人は、自らの手で自分自身を終わらせてしまいました。この喪失感は想像以上で、心が悲鳴を上げています。
春馬君がそこまで思い詰めていたなんて。きっと生い立ちへの思いもあったのかもしれません。あまり自分を見つめすぎないで。見つめたところで何も残らないよ。と言ってももう遅いけどね。
私は春馬君の最期を思っただけで、目の前がぼやけてしまう。全ての輪郭がぼやけるよ。きっとこの悲しみは、時間しか癒すことが出来ないのでしょう。訃報に接してまだ日が浅いんだもの。この先もずっと悲しいんだろうと思うと、胸が張り裂けそう。でも一番悲しかったのは、春馬君自身だとも思う。
本当にやりきれないね。彼のことは何も知りません。ただ、端正な顔立ちに、陰りのある瞳が魅力的だった青年。笑うと顔にくしゃっと皺が刻まれて、その笑顔が心を掴んで離さない青年。一生懸命言葉を選んで、相手に伝えようとする姿勢がとても素敵でした。
とても素敵だったことを忘れないよ。私は年を取って行くけれど、春馬君は永遠の30歳だね。私が彼を好きだったということも、おばあちゃんになれば忘れてしまうのかもしれません。本当は全て忘れさせて欲しい。
こんなに悲しいなら、好きだった記憶ごと持ち去って欲しい。こんなに悲しいなら好きになるんじゃなかった。でも、その陰りが好きだったのかもしれないね。
陰りのある瞳は魅力的だけど、その陰りに飲み込まれてしまったら、人は終わりです。その危うさの中を生きる姿勢にまた魅了されるのかもしれませんが、死んだら終わりなんだよ。春馬君、死んじゃだめだよ。
死を選ぶほど苦しかったことを何も分からず、その端正な顔立ちにばかり目を向けていてごめんね。大好きだったよ。