夏の終わりの気配を感じさせる風が吹き、二度と戻らない季節と、もう会えない人の存在が心に重くのし掛かる。生きてさえいれば、いつか、また会う日まで、と手を振ってさよならを言えるのに。悲しい夏だったね。忘れられない、永遠に消えることのないであろう悲しみを引き受けた季節。それと同時に、何かを失う代わりに、新しい愛を授かった夏でもあったね。
パイセンの苦しいくらい胸に迫るそのラップは、私に生きることの悲しみを教えてくれました。 ひりひりと痛むようなラップを聴いていると、誰よりも幸せになるでありんす、と「JIN」の野風さんになってしまうんだけど、許して欲しい。誰よりも幸せになりたかった。誰よりも。でも、生きていても悲しさが勝ってしまう。永遠に失われたという悲しさに足がすくむ。
めそめそするくらいなら、本でも読んで、自分の感受性くらい自分で守れバカ野郎、と何度も自分に言い聞かせては、立ち止まる。夜になると、永遠に夜明けが来ないような気持ちにさせられる。もうどうしたらいい?母上によると「年内は悲しい」とのこと。次第に記憶が朧気になり、優しい笑顔の輪郭だけ、ぼんやりと浮かぶのかしら。それも切ないね。私はまだまだ立ち直れそうにない。
パイセンにすがってさ、タワレコさんにて、コンサートDVDを死ぬ気で買い漁り、何とか生きているよ。「AがだめならB!BがだめならC!」と常に先を考えろ、という父上の教えに基づき、DVDを執念でゲットしています。そうでもしないと耐えられないから。今日はタワレコへ引き取りに出向き、パイセンにやっと会えた喜びで元気を取り戻しました。
こうやって元気を取り戻したり、またふと悲しくなったりしながら、何とかやり過ごしたい。パイセン、MCでの真面目な進行ぶりは、なかなかステキだよ。面白味には欠けるけど!(サイテー)コンサートを観ていると、出会えたのも何かの縁だと思える。何かが私の心にクリティカルヒットしたのも、必然だと思える。こうして出会い、別れ、また誰かと出会い、その繰り返しだね、きっと。
全ての終わりに愛があるなら、それでいい。君がもう悲しくないなら、それでいい。私は悲しんで、悲しみ抜いて、明日を信じられなくなっても、パイセンが隣にいてくれるなら、また頑張れる気がするよ。明日を生き抜くためにすがった愛に、すっかり、ちゃっかり救われ、「ヨボセヨ」のMVのパイセンの濃厚接触に憤ったり、私、生きてるよ。