お別れ会なんか行くものか。それでケリをつけられたら、どんなに楽だろうか。両親は言いました。「芸能人じゃなかったら、今頃どこかで生きていたかもしれない」と。かわいそうに。本当に悲しかっただろうね。
私は悲劇のヒロイン気取りなのかね。会ったこともない芸能人の死にここまで動揺し、悲嘆に暮れて、一体どういうつもりなんだ。自らの手で人生を終わらせてしまった、ということをどうしても受け入れられない。
いくら私が足掻こうが、どうにもならないことくらい分かります。でも、悲しくて堪らない。やりきれないんです。悲しくてやりきれないんです。一番悲しかったのは彼自身だと思うと、のたうち回りたくなる。
両親は「もう楽になれたんだ」と言います。私もそう思いたい。だけど、その選択を選ばざるを得ないくらい苦しかったんだと思うと、いたたまれないんです。かわいそうで仕方ない。
偶然ですが、四十九日に父上が彼の故郷である茨城県の土浦市に仕事で行きました。父上は「東京で生きるのは辛かっただろう」と土浦の土地を見て思ったそうです。私はお別れ会なんか行かずに、土浦の土地を見に行こう、そう思いました。
どんな景色を見て育ち、子役時代から走り続けてきたのか、私がこの目で確かめちゃる。そうでもしないと、自分で自分を納得させないとどうにもならないから。納得なんて到底出来ません。
いくらお別れ会を開こうが、基金を立ち上げようが、全ては真夏の夢のようだね。私は絶対に自分で立ち直ってみせる。時間が掛かってもいいから、いつか土浦の土地を歩く。それで私が救われるなら。
夢から覚めた後にまた眠れたら、どんなに良いだろうか。いつか全てを忘れられるのなら、この悲しみも甘受しよう。泣き顔さえ真夏の夢だね。