Eternally

 惚れた腫れたと騒ぎ、華奢で繊細そう、足が長くてステキ、瞳に翳りがあるように見える、もうそんなことで一喜一憂したくない。ネットを徘徊していたら「性癖にぶち刺さる」という表現を見かけました。

 性癖にぶち刺さるだと?誰もあんたの性癖を満たすために生きているんじゃないよ。皆、心ある人間なんだよ。ふざけるな。ぶち刺さっている暇があったら勉強でもしとけ。性癖にぶち刺さる証は、苦しみと悲しみの証だよ。よくもそんなことが言えるな。

 勝手に解釈されて、咀嚼されて、消費されて、いつの時代もその繰り返しさ。そうやって私たちの娯楽の一環として、常に身近にあり続けた芸能という仕事。あり得ないほど近くに感じられる時もあるけれど、本当はとてつもなく遠いね。

 大好きだから何にも心配いらない、と伝えても決して届かない。届くことのないエールに身をやつすのはなかなか体力が必要だ。もう止めた方がいい。こんなに悲しくなって、憤って、でも結局消費するのは私たちだという現実に打ちのめされる。

 華奢でステキってあんた、どういうことか分かってんのか、と自分を張り倒したくなる。その繊細さに堪らなく惹かれるも、もう離れたいと願わずにはいられない。こんなに苦しくなるならいっそのこと身を引くべき。

 性癖にぶち刺さると臆面もなく言える、その無邪気さと言うのか無神経さと言うのか、全てが憎らしい。結局は私たちが悪いという結論に辿り着き、とんでもない価値観に支配されていることを改めて思いました。

 いいじゃん、ガッチリしていたって。いいじゃん、そこに愛があれば。日々懸命に努力し、練習に励み、若手の台頭に立ち向かいながら、本当によく頑張りました。長かったと思います。ここに至るまで、本当に多くの時間を要したと思います。

 皆、好き勝手言います。私を含め、消費者は声高に主張します。まるでそれが与えられた権利かのようにね。全て耳に蓋をして、何も聞こえないようにすればいい。でも、現実はそうはいかない。エゴサをして、自ら傷つきに行ってしまう人もいます。その気持ちも痛いほど分かる。評判だけが秤の世界だから。

 悲しいくらい痛々しい人を前に、私はどうしたら良いのだろう。その儚さを美しさだと捉え、またヒーヒー言うのか。こんなに傷つき、打ちのめされても、格好良い!とまたはしゃげるのか。

 絶望も希望もない空のように透き通っていられたら。惚れた腫れたと騒いでいられるうちが花。花の命は、私たちが思っているほど短いのだ。