言葉に全部は託せなくても

 私たち、また会う日が生き甲斐の悲しいdestinyだね。本当に悲しい。生き甲斐がそれしかなく、次に会える約束だけで生きてきた。これからもそのつもりだけど、何だか心許ない。会いたい人には会えるうちに会い、大好きな人には「大好き」と伝えよ。

 時間は永遠にあるように感じられるかもしれない。けれど、決してそんなことはない。永遠なんてないし、運命なんて知らない。ただ、出会ってしまっただけ。出会ってしまったら、一生を添い遂げる覚悟で忠誠を尽くせ。今すぐ会いたい。

 一目会えたら、もう何もいらない。もう何もいらないのに、それが出来ないもどかしさよ。届くことのないラブレターを書き続け、自分の気持ちにケリをつけようと向き合ってきた。でも、どうにもならないこともあることを知りました。書けば書くほど深みにはまり、簡単には抜け出せなくなっていました。

 そんな私は、時々思い出す映画のワンシーンがあります。岩井俊二監督の「love letter」のクライマックス、図書委員である同姓同名の男女が織り成す淡い恋。柏原君演じる男子学生が、酒井美紀演じる女子学生の似顔絵を図書カードの裏にひっそりと、だけどしっかりと書いていたことが明かされるワンシーン。

 私はこのシーンが大好きで、これこそ、この思いがあれば、何だって出来る気がするんです。私にとっての図書カードは、小学生の頃に好きだった男の子がくれた遊☆戯☆王カード。もうなくしちゃったけど。

 彼が私の膝の上で寝ていたのか、とにかく彼の顔が近くにありました。その時、彼の耳の周りにふわふわと生えている、たんぽぽの綿毛のような産毛を見たんです。私はそれが堪らなく愛しく感じられ、「今が一番幸せなのかもしれない」と思ったことを覚えています。ませてるー!小学生のくせに!

 肌が触れ合ったり、触れ合わないまでも、耳の綿毛がよく見えたり、そんなことがいつまでも幸せな記憶として残り、私の心を掴んで離さないのです。たんぽぽの綿毛のような耳の周りのふわふわした毛を思う時、二度と戻れない時間への思いが強くなる。

 楳図かずおの漫画『わたしは真悟』で「もう子どもの頃の私たちには会えない」という印象的な台詞があります。惚れた腫れたと騒ぎ、バレンタインデーにチョコレートを買うも、結局一度も渡せなかったね。もう子どもの頃の私たちには永遠に会えない。

 だけど、もう一度会いたいと思えるほどの時を生きたならそれでいい。時間は巻き戻せないからこそ、尊いはず。巻き戻せないからこそ、輝くんだ。切なくも甘く、そして痛いほどの愛がそこに残るなら、なにもいらない。