恋人になろう、夜通し話そう

 連日、勉強漬けなり!きっと、この頑張りは報われるはず、と一縷の望みを託しています。いや、あと一歩届かないことには変わりないのですが、「やれば出来る!」が合言葉の知らん芸人のフレーズを思い出し、日々勉強。結局、試験は瞬発力ですやん?その一瞬に全てを出し切れるか否かですやん?

 そう考えたら、今はまだジタバタするのもアリかなー、と考えています。試験が年に一度しかないため、貴重な一回だし、だからこそ荷が重いし、とにかく苦痛なわけですが、ま、取り敢えずやってみよー。あまりにも根詰めているため、時折倒れそうになりますが、大丈夫でしょうか。

 悲しみを忘れたいがためだけに打ち込み、やはりどうにもならず、悲しみに飲み込まれていく繰り返しさ。先生はもう勉強はしなくていい、と言ってくれたけれど、私は必死で打ち込んでいるよ。まだ全然大丈夫ではなく、むしろ頻繁に泣くけれど、泣きながらでも勉強しています。

 それが果たして心に良いのかは別として。もう分からなくなりました。何が良くて、何がだめなのか、全然分からないよ。泣きながら勉強して受かるはずがない、ということは、頭の片隅では分かっている。でも勉強を止めるということも怖くて出来ない。

 もし落ちたら、来年はハングル検定準2級の合格を目指して頑張ろー、と既に落ちることを見越して勉強の予定を立てるくらい、勉強にすがっています。私はきっと、働くことに向いていないため、出来るのならずっと勉強していたいのです。と言いつつ、毎回勉強も煮詰まって止めたい!と泣くけれど。

 結局止められないんだよね。しかし働くことに向いている人っているのかね?蓮舫とか?知らんけど。ムシャクシャするから、ホラン千秋蓮舫くらいのベリーショートにする!といつも思うけど、絶対にやらないのは我ながら何なん?彼女たちだってムシャクシャしたからベリーショートにしたわけではないだろうし、それは失礼やな。

 もしかすると無意識のジェンダーバイアスに引っ張られているのかもしれません。「あの髪型にするのは、ムシャクシャしているからに違いない。」と。私も昔は万年ショートヘアーだったんですのよ。ツイッターのアイコンのようにね。でも、ジョンハン青年に出会い、刈り上げギリギリまで攻めてください!と美容師さんにお願いしていたかつての勇気がなくなりました。

 「女性らしさ」の追求に目覚め、私の中の田中みな実が覚醒しました。ミディアムヘアもなかなか気に入り、全てはジョンハン青年の存在ひとつに左右されているアホらしさにも笑いつつ、なんとか生き延びています。昔は「生きねば!」と必死に思っていたけれど、今のご時世、生き延びるという姿勢が正解なんじゃないか、と思うに至りました。

 何でもないようなことが幸せだったと思い、自分のことを大切にして、誰かのことはそっと思うだけにする。その思いに引きずられることだけが優しさでは決してないから。だって、もし引きずられて死んじゃったら、私の27年間は一体何やったん?

 中高時代は、私のお陰で大人しい娘は楽しい学校生活を送れた、と同級生のお母さんたちから感謝されたこともありました。かつてはバリバリ優等生だったのだ。クラス運営に命懸けてましたからね!頼りない担任教師の相談に乗り、時に励まし、時に叱り、切磋琢磨してきました。

 そう考えると、全て報われてきたのかもしれない。中2でクラスを数名に乗っ取られ、ほぼ毎日、保健室へ逃げ込んだ日々もありました。でもあの1年があったから、もう二度とそんな思いは誰にもさせない、と中3から奮起。クラス運営に力を注ぎました。いや、誰なん?立場は何なん?

 それはさておき、準教師のような立ち位置で見張り、見守り、育んできた日々。その結果、日陰の存在とされる同級生たちからも「良いクラスだった」と言われた私は、準教員として向き合って良かったと心から思いました。だって、本当に良いクラスだったよ。いや、準教員とは?

 カラットちゃん、時に諦めそうで、全てを投げ出したくなっても、「私のお陰で楽しいクラスだった。」と言ってくれた同級生たちを思うと、やっぱり投げ出せないや。だって私が全てを投げ出したら、きっと彼女たちは悲しむから。悲しんでくれると思うから。

 最近よく昔のことを思い出します。懐かしむことが出来る思い出があって良かった。 「何で死んじゃったんだ。」と考えても、きっと本人にも分からないでしょう。私を残して、何で一人で死んじゃったんだ、と思っても、君は私のことなど知らないもんね。

 もう泣きたくない。でも涙が止まらないんだ。死んで永遠になるなんてずるい。ずる過ぎる。残された側はずっと忘れられないんだぞ、バカ野郎!