現実は意外と

 寝れぬ。〆にまぜそばを食べたかったけど、我慢したせいか、空腹に負けそうでござる。もっと欲望に忠実に生きた方がいいのかしら?己を律していないで、まぜそばを頼めば良かったのかしら?いや、食べなくて正解だったと思いたい。

 最近とにかくお腹が空いて仕方がないでござる。勉強でエネルギーを消費しているためか、食べている最中もお腹が空いて、完全に満腹中枢がイカれてます!いや、幸いなことに、エネルギーを消費しているためか、食べても食べても体重は大して変わらず。だから気を良くしてまた食べるのですが、いくら食べても満たされないのよ!

 どんだけ勉強してんねん!とも思いますが、確かにしている。勉強ばかりしている。ただのガリ勉と化している。外食先で見掛けた、〆にまぜそばを食べる巨漢の女性が羨ましい。欲望に忠実。

 私は踏み止まった境界線を易々と越えるその姿勢、なかなかでござるな。と思うと同時に「いや、〆にまぜそば行くんかい!」としっかりツッコミました。彼女はツッコミどころ満載、いや、ツッコミどころしかなくてさ、全く笑わせてくれるぜ。

 でも私がもし〆にまぜそばを食べていたら、今頃は空腹に苛まれず、すやすやと眠れていたかもしれない。まぜそばよ…可愛い可愛いまぜそばよ…ハッ!とりつかれている !食べ物の恨みは実に恐ろしいでござるな。父上が張り切ってゴートゥーイートを駆使しているためなかなか楽しい。

 ゴートゥートラベルもイートも番組ADさんのように下調べをし、駆使しようとするその姿勢には感服。私は残念ながら、あまり関心がないからさ。カラットちゃんも錬金術を駆使されているのかしら?悲しいことに、何にでも関心を持ち、興味を示してトライする姿勢がなくなってきたわ。

 色んなことが、私の上を通り過ぎるだけのような気がする。知らぬ間に何かが始まり、知らぬ間に終わっているような感覚がある。旬。世の中の旬を感じ取りそびれているのかね?旬なんてさ、小栗旬くらいでいいわ。

 しかし本当にジョンハンにもうすぐ会えるのかな?関心事がそれしかなく、永遠にひっそりと閉じた世界に横たわっていたい。かといって人と話したくないわけではない。むしろ関わりたいのさ。集団に属さなくなって久しいためか、何だか無性に人恋しいや。

 昔は熱かったなー。今も胸に秘めたる情熱こそあれ、その熱意を向ける対象がない。友達も両親しかいないし。いや、友達にカウントするなって?てへ。二人いればいいじゃん?とも思うけど、そういうわけにはいかないだろう。確かに私はとても満足している。

 そういうわけにはいかないだろうとも思いつつ、実に満たされている。このまま永遠の子供部屋おばさんになる自信しかない。しかし、そんな変な自信を付けても意味がない。ごちゃごちゃうるさいですね!ごめんなさい。これでも人が好きだからね。

 楽しく釣りをしたり、ワンだガーデンで犬と触れ合っていたりすると、よく見知らぬ人から嫌味を言われますが、人が好きなんだ。健気でしょう?淡路島にて、小さなアジの群に当たり、餌もつけずに竿だけ垂らすと、爆釣だった時があります。私は楽しくて、永遠に釣ってはバケツへ入れ、釣っては入れ、という営みを繰り返していました。

 すると、それを見た孫を連れたじいさんが「あんなん釣っても何にもならん。」と孫に吐き捨てました。こんなに楽しみながら、永遠に同じ作業を繰り返している子どもに対して言う言葉でしょうか?悲しかったけれど、両親が「大丈夫。」という姿勢でいてくれたため、また作業に没頭しました。

 有馬のワンだガーデンという犬と遊べる施設では、放し飼いにされているスペースへ入るや否や、犬たちが私に駆け寄り、しゃがんで触れ合いました。すると、私の背中にまで乗ろうとするミニチュアピンシャーまで現れる始末。

 母上が笑っていると、またまた娘を連れたおばはんが「コロッケでも持ってるんやわ。」と言いました。いや、持ってませんが。楽しく釣りをしていても攻撃され、犬に囲まれても嫌味を言われる私は、じいさんとおばはんのような大人が祖父であり、母親であるという事実に驚愕しました。

 しかし、嫌味を言う人間は全て他人であり、関わってきた人たちは皆、愛情を注いでくれました。他人に何を言われても心を痛める必要はなく、大切な人から何か言われたら考えればいいが、それ以外は虫けらに過ぎない、という父上の言葉が身に染みます。

 しかし、私の人生は、なぜだか必要以上に虫けらが絡んでくる節があるのだ。こんなに大人しくしているのに!先日もいつものカフェで勉強していたら、角刈りのジジイが「ここで勉強していいのか?」と連れのおばはんに言い始め、二人とも殴り飛ばしそうになりました。

 黙れ角刈り!角刈りがクラスの中心になろうとすな!(ジャルジャル)頼むから絡まないで。そっとしておいて。こんなに大人しくしているのに、かつてベローチェで韓国語の勉強をしていたら、見知らぬ変なおっさんに「ハングルですか?」と話し掛けられたこともあります。

 そこから約一時間半も話し込んだっけ。ほぼ向こうが話していたとお思い?私も結構ガッツリ話しました。てへ。良くも悪くも絡まれやすいということは、残念ながら隙があるということ?数年前も駅前で母上を待っていたら、見知らぬトルコ人に「友達になろう!」と話し掛けられ、日本の自殺率の高さについて、永遠と持論を聞かされました。

 確かに私も思うところはあるけど、あんたと語り合いたくはない。そうそう、高校生の時も、部室に置いていた荷物を抱えて駅のホームに座っていたら、若めのサラリーマンのおっさんに「荷物多いね。」と話し掛けられ、そこからまたまた「友達になろう。」と言われ、怖くて丁重にお断りして電車に飛び乗りました。

 皆、私と友達になりたくて仕方なくないかい?もれなく全員アウトです。残念ながら、変なやつからしか絡まれないからさー、そこから何かが始まることもなく、いつも嫌な思いをして終わるのだ。しかし「友達になろう」って何?当然ただの友達で終わるわけもなく、ギブアンドテイクを要求されるであろうことは、バカでも分かる。

 こうしてどこか男性に苦手意識と恐怖心を持ってしまう羽目に。全く変態は困るぜ。でも人とちゃんと繋がりたいんだよね。変態以外で!他人に話しかけること自体おかしいのに、変態はそこを易々と飛び越えてくるため、実は私に問題があるのではないかと思い始めました。

 変態に「何だか行けそうな気がするぅ~!」と思わせてしまう何かが、私にあるのかもしれない。確かに押しに弱いのは自覚済み。でもどうしたらいいのさ。今から本格的にグレてやろうか、積み木を崩してやろうか、と思わないでもない夜更けでござる。おやすみんぎゅ!