Polaris

 あれだけ必死に勉強したのに、あれだけ時間と労力を割いたのに、あと一歩及びませんでした。検定試験合格への道は遠かった。手応えはあり、終了後即、「合格しました!」と両親に言ってしまうくらいの過信がありましたが、ドキドキしながら解答速報を見てみると、残念ながら力及ばずでした。

 もう勉強したくないから絶対に一発で合格したい、という意気込みから勝手に追い込まれ、苦しかったです。あれだけ勉強したのに力及ばずだったのは、おそらく苦手科目にしっかり向き合わなかったからでしょう。苦手分野をそのままにして、「なんとかなるさ」と試験に臨んだからでしょう。

 詰めが甘かった。悔やんでも悔やみきれませんが、どれだけ勉強しても分からなかったのだから仕方ないと割り切るべし。それにしても熱く、長い戦いだった。やれるだけのことはやったし、結果は後からついてくるだろう、とどこかで乗り切れる自信があったのかもしれない。

 いや、本当はだめだろうとも思っていたけれど、勉強は沢山したから大丈夫という安心感はありました。でも、結果はなかなか厳しかったね。小論文は満点でござる、という変な自信がありますが、リスニングが戦力になりませんでした。うーん、学校通うか?でも誰とも関わりたくないし、学校に行ってまで頑張る気力もないべ。しかしここまでよく頑張りました。

 試験終了後即、父上に「合格しました!」と連絡したくらい手応えがあったにも関わらず、まんまと落ちているので、両親に顔向けが出来ない。昨日、父上に「これで落ちてたら二人に顔向け出来ないね。」と話すと「家族だから何があっても顔向け出来ないなんてことはない。」と言われ、何だか泣けてきました。

 私は子ども部屋おばさんなので、もうベッドに横になり、何とも言えない気持ちでひっそりとこのブログを書いています。 なぜ、まだ答え合わせもしていない段階で「合格しました!」とか「よく出来た!」とか言ってしまうのだろうか。昔からそうでした。

 中高時代の中間や期末テストでも、周りが「全然出来ひんかった。」と言っている中、私は一人で「めっちゃ出来た。」と言っていました。あの時は実際めっちゃ出来ていた時もあれば、「どの口が言うとんねん!」という時もあり、おそらく皆、めっちゃ出来ていてもそんなことは言わないんだろう。

 英検や漢検受検の際も、ギリギリで合格した私を妬み、「あと一点で落ちた。」と生徒会長が恨み節を炸裂させていましたが、あと一点だろうが五十点だろうが落ちたものは落ちたんだ、と言ってやればよかった。

 ま、「ギリギリ一点で受かった。」と言い返していましたが。実に馬鹿馬鹿しく、実に下らないね。試験慣れしている自信はあったせいか、やはり落ちたと分かると悔しく、情けなくなるけどさ。よく頑張りましたよ。

 母上には落ちたと伝えたけど、父上にはとうとう言い出せなかった。きっと、というより絶対に笑ってくれるけど、「合格しました!」との私からのLINEに「おめでとう!」と返してくれているから、なかなか言い出しづらいわ。バカなのか?私はやっぱりバカなのか?

 何が「合格しました!」じゃボケ。しっかり落ちとるやないか!明日ちゃんと伝えよう。試験後の謎の万能感は恐ろしい。ちゃんと落ちました、ということだけカラットちゃんにお伝えしますね。公式の解答速報ではないため、まだ一縷の望みは捨てられませんが、おそらくちゃんと落ちてます。

 私の小論文は模範解答として、過去問題集に載せてくれても構わない、ということも検定協会に伝えなくては。チックショー!!