時よ

 「面白い文章だなー」と思い、密かにチェックしていたアルファツイッタラーのおばさん。なんと最近、そのおばさんがブログを有料に変えて、フォロワーからお金を巻き上げるようになっていました。言い訳としては「コロナで会社が倒産しそうだから」ということですが、何だか一気に冷めました。

 私は自分のブログを有料にするなんて考えられないし、ましてやアルファツイッタラーが取る行動かね?アルファツイッタラーだからこそか?今まで支持してくれた人たちからお金を巻き上げるとは、なんぼのもんじゃい!と沸々と怒りが込み上げてきました。

 私は勿論課金などするわけもなく、ただただ冷めきっていますが、平然と、たかがブログで人から巻き上げようとするとは何事?高々おばはんの日常で稼げるほどこの世は楽ではないでしょう。でも、アルファツイッタラーにはアルファツイッタラーなりの過信があるんだろう、と思うと何だか残念。

 勝手に期待して、勝手に失望するとはまさにこのことですが、どこか親しみがあるのがおばはんの魅力ではなかったか。もう一度原点に帰るべき!フォロワーから巻き上げようとするのは、あまりにも、あまりにも傲慢ですぜ。「情熱大陸」の寿司屋も傲慢なんですよ。あんたら、なんぼのもんじゃい!という一言に尽きる。

 ま、アルファツイッタラーも私の人生において大切な存在でもないし、放っておくのが得策なんでしょう。大切な人を大切にする、それだけでいいんです、と宇多田ヒカルも言っているのにさ、私は守備範囲が広すぎる。アルファツイッタラーのおばはんなんて放っておけ。悲しいけど、そのうち自滅するから。

 慢心だね。そう考えると、ツイートにも書きましたが、木皿泉は慢心と対極にある。木皿泉の名台詞アカウントを覗いてみたら、そこには宝物のような言葉たちが沢山ありました。今年は本当に色んなことがあったから、余計に心に刺さりました。

 当時中学生くらいだったかな?「野ブタ。をプロデュース」で亀ちゃんこと亀梨和也演じる人気者の修二がどんどん窮地に追い込まれる描写がリアルで痛々しく、毎週引き込まれました。木皿泉はきっと、言葉の持つ力を誰よりも信じているんです。

 私も信じています。紡いだ言葉が誰かの心の片隅に残り、そっと灯りを灯してくれることをどこかで期待しています。結局は自分のために書いているに過ぎない文章が羽ばたき、小さな力になることを夢見ているんです。SNSの発達により、これだけ自分を表現できるツール、機会に恵まれている私たち。

 果たしてそれが幸せなのかは置いておいて、私には文章で自己表現する道が合っています。書いて整理して、また書いて。その繰り返しの中で新たな気付きがあり、それが喜びになる。多かれ少なかれ、みんな自分の話を聞いて欲しいのだと思います。

 だからと言って友人相手にマシンガントークを繰り広げたいわけでもなく、ひたすら自分に向き合っていたいのです。自分を見つめても、見えてくるのは面倒な自分ばかりです。でも、その面倒な自分こそ、かけがえのない私でもあるのです。

 Never Let Me Go.