「積ん読は積ん徳!」とのつまらない意見が散見される中、「買って満足してないかい?」との結論に辿り着きます。そうなんです。買って満たされちゃうんですよね。自分の手元にある、という安心感から全てのミッションを完遂したような気になってしまうのです。本は読まなきゃ意味ないのにね。
全てそうですよね。服を買ったなら着なきゃ意味がないし、CDを買ったなら聴かなきゃ意味がない。映画も録画したなら観るしかないんですよ!春馬ー!!!と結局春馬に行き着いちゃった。亡くなった人がこの世で一番好きな人になってしまったね。
その事実に立ち竦むよ。またまた春馬が登場してしまい、すみません。どんなに美しい黄葉を見ても、「もう春馬は秋の日差しに目を細めることはないんだ。」と思うと悲しくなる。私がどんなにそびえ立つ大木に感動しても「春馬は二度とこの景色を見ることはない。」という事実に心が沈むんだ。
春馬、春馬って本当にうるさいですね。私が代わりに心に刻むからね。この美しい眺めを心に刻むからね。失ったものが与えてくれたものって何でしょうね。私はやっぱり「電池が切れるまで」というフレーズを思い出します。
春馬の電池は限界だったんだろうし、それはよく分かります。それなら私は、電池が切れるまで精一杯生きる。本も沢山読んで、映画も沢山観て、自分の感受性くらい自分で守る。悲しい時にはしっかり悲しんで、嬉しい時には心から喜び、日常をクスリと笑える余裕を持ちたいよ。
クスリと笑えることと言えば、先日、誕生日を迎えたいとこにお祝いメールを送った私。「落ち着いたらまた遊ぼうね!」という私に「OK!」と返すいとこ(小学生)。OKではなく遊んで下さいだろうバカ野郎!!と内心ぶちギレつつも、やり取りをしていました。
すると「今から宿題やるから一回ストップ!」と来て、またまた爆笑。いや、私がメールしたがってるみたいやん?何なん?と思いながら指示に従っていたら(従うんかい)、それ以降メールは送られて来ず。いやいや、あんた、自分勝手すぎるやろ!とおこ。激おこぷんぷん丸となりながらも、「ま、これも個性か。」と鬼の形相で受け流しました。
私はいつも鬼の形相で怒り狂いながらも、生粋のポーカーフェイスであるため、誰も知るまい。私がこんなに短気で損気でお茶目でシャイなレディーだとは、誰も知るまい。本当はもっと怒ったり、ふてくされたりしたいけどさ、それも何だか大人げないじゃん?
自分の感情を押し殺して、それで周りが上手く回るなら致し方なし、と思っていました。でも、今ならはっきりと言える。それは違うよお嬢さん、と。これからはアサーティブコミュニケーションの時代よ!(検索してね)
じゃあ今から思ったことを言うね。俳優の磯村なんちゃら、深夜番組でサンドイッチマンに「男前ー!」みたいなことを言われていたけど、その際、謙遜していなかったから「へ?ところでどちらさん?」となりました。
うちのジョンハンは関西ローカル、ちちんぷいぷいで「男前やなあー!」と言われた時、「そんなことない…」としっかり謙遜していましたよ!?うちのジョンハンは。磯村なんちゃら、許すまじ。うちのジョンハンのそんなことはある、と思いながらの「そんなことない…」に勝る台詞はない。この世界中のどこを探しても。