囚われたままだね

 何だか空しいような、寂しいような、これからずっと一人でいる未来しか描けないような、そんな気分よ。どうして人は、一人では生きられないんだろう。なぜ、こんなにも誰かと繋がりたくて、話したくて、温もりを感じたいんだろうね。

 こんなにおセンチなのはきっと、昨夜、寒空の中、椎名町の駅前で両親と立ち食いそばを食べたからだわ。あの時、私のことをこんなにも愛してくれるのは両親しかいないんだ、ということに気付いちゃった気がする。

 家族三人で仲良く立ち食いそばを食べる、という私たちにとってはありふれた光景だけど、実はかけがえのない時間だということに気付いちゃった気がする。寂しさを感じるのは、いつも誰かといる時です。こんなに楽しくていいのかしら、いつか全て終わっちゃうのに、なんて考えていたら何だか切なくなってくるのさ。

 この私のセンチメンタルさを笑い飛ばしてくれるのもやはり両親であり、一緒にいる時間が楽しければ楽しいほど、寂しさが募る。どうしてこんなに面倒な性格なんだろうか。すぐに寂しくなって、春馬ー!となってさ。春馬はもういません。そんなことは分かっているけど、NHKの番組の新MCを観たら涙が溢れました。

 「そこは春馬の席!!」と鈴木なんちゃらを投げ飛ばしたくなりました。鈴木さんは何も悪くないのにね。悲しいかな、春馬の喪失から立ち直ることなく、日々めそめそしているこの現実。芸能人が集っている番組なんかはもう観れません。そこに春馬はいないから。

 二度と春馬は現れないから。春馬、春馬ってさ、一体私もどうしたらいいのか分かりません。一番好きなんですよ。でも、私がめそめそすることは春馬も望んでいないはず。私が立ち止まり、一向に前に進もうとしないのは、春馬も望んでいないはず。

 だから、今度こそもう書かない。春馬のことはもう書かない(つもり)。書けば書くほど救われるかと思ったら逆でした。書けば書くほど悲しみに飲み込まれ、立ち竦みます。誰よりも幸せになってよし!悲しみ抜いたら、誰よりも幸せになってよし!私へのメッセージでした。