恋は革命

 宇多田ヒカルの「WILD LIFE」を観ていると、沢山考えて、傷付きながらも前に進んだ人にしか出せない味、魅力ってあるのかもしれないと思いました。「みんな前へ進めって言うけど、留まるのってそんなに悪いことなのかな。」とは木皿泉のドラマの台詞です。

 私はずっと留まり続けている。先に進むのが怖いし、自分に合う場所を見つけられる気がしないんです。それはおそらく、進んだ先でまた自分が傷付くのが怖いからでしょう。だから何もせず、また一年が終わろうとしている。

 確かに資格試験の勉強に励んだり、ハングル検定を受験したり、何かしら動いてはいました。でも、やっぱり私には勉強しかないことに気付きました。両親は大学院へ進学することを勧めてくれて、私もだんだんその気になってきました。

 残念ながら私は丸の内OLじゃないんですよ。一人で机に向かうのが好きなただの文系なんです。よく分からないままシューカツに臨み、大袈裟ではなく死にかけました。丸の内OLになんてなれるはずもなく、己を知りなさい、という一言に尽きるね。

 大学院受験のためには、また英語の勉強をせねばならず、韓国語に逃げていた私にとっては、苦しいところ。大学院では、韓国の研究がしてみたいな。いや、まだまだ入れる確証はないんですけどね。文系なんだから、とことん文系を貫いてやろうとも思っています。

 何者でもない自分を貫くのは、あまりにも過酷である。そうそう、先日大学のプリント類を引っ張り出し、私が何を面白いと感じ、何にのめり込んでいたのか探りました。するとある教授の名前を見て、その先生のことが急に懐かしくなりました。

 名字と大学名を検索すると、1件ヒット!私の所属した学部の教授になっていることが分かりました。でも何となく顔が違うような。めがねは掛けていたけど、何となく違うような、この人で合っているような、と混乱しました。

 氏名を検索しプロフィールを読むと、その先生はゲイであることを公表していて「絶対に違う!!」と確信。私が好きだった先生は、70年代の香りが漂い、どこか退廃的で、人生を諦めているように見えました。いつも一番前に座る私とたまに目が合うと、フッと逸らす仕草が好きでした。

 私がノートを書き終えるのを待って、次に進んでくれる先生。(思い込み!?)確かに心が通じていたはずの先生がゲイであるはずはない!と奮起し、先生の下の名前を必死に探し、なんとかたどり着きました。

 すると、やはり最初のゲイの先生とは別人であることが分かり、「やっぱり私のことが好きだったんじゃん!」と論理が飛躍してしまいました。てへ。私は昔から好きな人が実はゲイだった、という夢を見て泣きながら目覚めている厄介な女の子なんです。

 でも、ゲイか否かはその過程で案外気付くものなのかもしれません。オダギリジョーがゲイ役の映画「メゾンドヒミコ」では、柴咲コウがゲイのオダギリジョーと惹かれ合うお話ですが、肉体的には繋がれなかったような気がする。

 記憶が曖昧ですが、心では結ばれても、その先に進むのが難しいんですよね、きっと。私はそれが悲しくて悲しくて、しくしく泣いたんだ。どんな綺麗事を並べても、結局は欲望を向けて、向けられる関係が幸せな気がしました。

 私が好きだった先生は、他の女学生からは「ダサいし暗いよねー。」と笑われていましたが、ダサくて暗くて最高だったよ。暗いわりにはつぶらな瞳が力強くて、それはそれは魅力的でしたよ。

 男子学生とはなかなか仲良くなれなかったけど、教授とは波長が合うことが多く、母上と「教授を狙えばよかったねー。」と笑って話しています。なんで気付かなかったんや!不覚!!!