孤独を癒すムーンライト

 カラットちゃん、生きてる!?毎日寒いけど、生きてる!?もう何もしたくないや。いや、大したことはしていないのですが、本を読む気力も無くなりつつある。積ん読を前に途方に暮れちゃうよ。

さて、先日、小松左京の「首都消失」という映画がWOWOWで放送されていたため視聴。結論、駄作中の駄作でしたわ。余りにもチープな作りに小松左京が泣くだろうが!と怒り心頭。天下の小松左京の作品をあんなにチープな内容にしちゃだめでしょう?

 主役は渡瀬恒彦でも名取裕子でもなく、タケモトピアノのおっさんでしょうが!と爆笑しました。いや、笑う作品ではないはずなのに、終始爆笑していました。時間を返せこの野郎!HDDの容量を空けるために映画を観なきゃならないのですが、なんせ気力がない。

 時間の短いドキュメンタリーなら観られるはず!と方針転換し、何とか食らいついています。もはや色んなことへの情熱や気力が、知らぬ間に失われているのかもしれない。気付かないうちに興味関心が無くなりつつありあるのかも!ヒィハー!!(小杉)最近は物欲も無くなり、洋服なんて死ぬまで要らないんじゃないか、という心境の変化。

 つまらん。実につまらん。あるものでいい、というのは実は幸せなことではないでしょうか。もう一生分ある、と思えるだけの洋服やファッション小物に囲まれていることは、贅沢だったのかもしれないね。結局、物は持っているだけではなく、使わなきゃ意味がないのだ。服は着なきゃ意味ないし、本も読まなきゃ意味がない。

 大して着る機会もない今、洋服を買う気がしないのは当たり前田のクラッカーじゃん。私は福袋を買った経験がなく、何が入っているか分からない服なんて勿体なくて買えないのですよ。でもミラオーウェンの福袋なら買ってみたいなー、とついこの前までは何となく思っていました。

 でも今は「死んでもいらん。」と心変わり。我ながらすごい手のひら返しにビビりますが、服に申し訳ないからかもしれないと思うようになりました。せっかく買ったとて、着る機会が減った今、お洋服たちが浮かばれないじゃん?可愛いお洋服がタンスの肥やしになるだけじゃん?

 それなら美味しいものを沢山食べたいし、経験に注力しよう、とより一層思うようになりました。お腹の中に入れちゃえば、場所も取らないしね!「本が読めなくなった。」と嘆いたり、「洋服も二度といらん。」と頑なになったり、何かと忙しいです。

 ただ、感性だけは鈍らせないように!と音楽は毎日聴いてます。植物も育てて癒されてます。そうだ!植物と言えば、先日の報ステにて、徳永アナがポインセチアを見て、「ズーム会議なんかで(見える位置に)置くと良いですね!」というようなことを言ったんですよ!

 いやいや、そういうことじゃなくない?殺伐とした今、ステイホームの今だからこそ、植物の生き生きとした姿に癒されるという話じゃないの?とますますこのおばはんが嫌いになりました。「ズーム会議に置くといい」ってただのインスタ映えやん。インスタ映え狙いやん。

 そういうことではなく、植物を通じて季節の移ろいを感じたり、在りし日に思いを馳せたり出来るのが植物の魅力やん?このおばはんは以前も「先日我が家でエビワンタン鍋を食べました!」と言ったりさあ、エビワンタン鍋って一体何やねん!とぶちギレる他ない。

 決して豚バラ白菜鍋とは言わないその高ピーさに嫌気が差しました。私がキレすぎ?いつか血管が切れて死ぬって?アルゲッスムニダ。北川景子の「私ってお菓子食べるじゃん?」発言にも「知らんがな!」とぶちギレているため、血の気が多すぎるね。

 死因「短気」と診断書に書かれないようにするためにも、何とかしなくちゃ。世の中の大半の人間は私にとってはどーでもよく、大切な人が道を踏み外しそうになったり、ピンチの時だけ心を砕けばいいよね。

 「私って○○な人じゃないですかー?」という女性も血の池地獄に放り込みたいんですけど、だめかしら?全員まとめて放り込むため、私の周りから人がいなくなる可能性大。まだぶちギレる元気はあるため、きっと大丈夫。私からキレ芸を無くしたら、何も残らないのさ。