なくしたものを追い求めるのではなく、いや、なくしたといってもピヨジの肉体が滅びただけなんですよね。一緒に過ごした時間は永遠に残ります。思い出を暖めながらやり過ごすしかないのかもしれません。
今年は三浦春馬の死から始まり、私自身の存続も危ぶまれた一年でした。そしてここに来て愛鳥の死。ダブルパンチとはまさにこのこと。昨夜も愛鳥と三浦春馬を思っていたら泣き腫らしてしまい、最悪なクリスマスイブ。
いつまで泣けば気が済むのかね。私が一番苦しかった時期に愛鳥が心の支えとなり、私は生きて来られたんです。小さな恋人がいたから戻って来られたんです。私がかきかきしているかのような表情を浮かべたまま永遠に眠る小鳥。
もう二度と目を覚まさないのは、三浦春馬も同じだね。春馬、生まれ変わったら小鳥になりなさい。そして私の元に降り立ちなさい。ピヨジに会いたい。三浦春馬に会いたい。あの日から何となく心が晴れなくて、随分時間が経ちました。
そして追い討ちをかけるように愛鳥が旅立ち、私自身がままならなくなりました。木皿泉の『さざなみのよる』を一気読みし、少し救われたのもつかの間でした。やはり頭の中は堂々巡りで、少しでも立ち直ろうと本ばかり買っています。
読書をする時間が唯一の休息かもね。今日はカフェで小松左京の『復活の日』を読みボロ泣き。その足で書店へ行き、またまた小松左京とダニエル・キイスを買って帰りました。本ばかり買っていますが、エンドルフィン?を出すにはこれしかないのだ!
ピヨジはお空の星になり、天使になったんだよね。私たちのチョンサになったんだね。連日泣いてばかりですが、別れに弱い私自身も何とかしなければなりません。何を見ても、何をしてもあまり楽しくないんだ。
皆は新しい子を迎えて、ペットロスから無理やり立ち直るのかな。私は色々考えましたが、いつかは別れが訪れることを思うと怖いです。ピヨジはピヨジでしかなく、唯一無二のコミカルなインコでした。
あの個性的な性格は、どこを探したってなかなか出会えないでしょう。激しい喪失感の最中にいる私は、また別れるのが怖いんです。でもインコなき生活も寂しくて堪らないんです。失うことが耐えられないなら、飼っちゃいけないかもね。
春馬もいなくなり、ピヨジもいなくなり、皆いなくなっちゃうね。星になった人や小鳥のことを決して忘れません。私が生きている限り、彼らも心の中で生き続けるのでしょう。
もう誰も失いたくないのに、それは無理な願いだね。カラットちゃんは、長生きしてくださいね。太く、短くでも可。幸せとは時間の長さではないこと。愛し愛された時間の中を生きることであるのだ。心のロマンを絶やすことなかれ。