別ればかりで耐えられそうになく、「よいお年を」なんてとてもじゃないけど人には言えそうにない。私は『復活の日』に希望を見たくて読み始めたんです。皆が「来年こそは」と思うようにね。
でも、残念ながら安泰した年が訪れる確証はどこにもないんです。『復活の日』は示唆に富んだ小説で、ヒューマニズムで終わらせないところがミソ。「来年こそはいい一年にしたい」と皆が思うように、私も思います。しかし悲しいことに、そこまで信じられる力がない。
カラットちゃん、人は必ず死にます。命あるものは全て、急がずとも必ず、法則によります。愛鳥は、亡くなる前日に私と沢山触れ合い、これでもか!というくらい愛情を注ぎ合いました。まるで私が首周りを撫でている時のような、穏やかな顔のまま旅立った小鳥。
それだけが私の救いであり、苦しまずに旅立てたのであれば、幸せな鳥の一生だったと思いたい。悲しいし寂しいのは変わらないけれど、亡くなる前日の幸せそうな表情の写真に囲まれた今、私はとても幸せなのです。
コロナウイルスの出現により、多くの人々の心が死んだことでしょう。今までいっぱいいっぱいだった心に背後からいきなり殴られたような、そんな衝撃だったのかもしれません。きっと、緩い連帯や繋がりが私たちを生かしてくれる最後の砦だったのかもしれないね。
どこかで誰かと繋がり、一人じゃないと思えたなら、それだけで勝ちなんです。去年の10月頃にツイッターアカウントを開設し、沢山のカラットちゃんとお話出来ました。それだけでとても満たされました。色んなお話が出来て、とても楽しかった。
これからも仲良くしてくれたら嬉しいです。よろしくね。大好きだった俳優の死、大好きだった愛鳥の死を受けて、今年は喪失の一年でした。大好きだった人の死がこんなにも心に影を落とし、私自身もままならない年でした。
なくしたものを追い求め、嗚咽するのではなく、彼が、そして愛鳥が遺してくれた愛を力に変えて進むべきなんでしょう。死について考え続け、立ち止まることが多かった私は、時折全てを投げ出したくもなりました。
そんな中、通っているカフェの店員さんの目元がハニちゃんに似ていることに気付き、何とかお近づきになりたいと足繁く通うようになったバカ女こと私。でもいくら足繁く通おうが、お近づきにはなれないんですよ。
私はただの客だから。話しかける勇気もなく、「ハニちゃんに似てる…ニヒヒ…」と見つめるだけで何も起こらないことに嫌気が差し、自害したくなった夜もあります。どうやって近づけばいいのさ?
「ふちベア下さい!」と言ってレジで買ったふちベアをそのままあげる、という子どもじみた発想しか浮かばず途方に暮れちまうよ。だからもう通うことを止めると決意した年の瀬。
いくらお金を落としたとて、彼と深まる確率は0に等しい。ホストに貢ぐ女性と何ら変わりのないことに気付き、愕然としました。たかがコーヒー一杯、どうってことないよね。でも空しいんだ。あらゆることがバカらしくなって、マス釣りで全てを発散しました。
寂しいからってハニちゃんに似ているお兄さんにすがり、いや、お兄さんと言えど明らかに年下ですが、結局誰かを求める浅ましさよ。「クリスマスだーい!」とはしゃぎ、小説を買えども買えども、この寂しさは埋まらないだろう。
だからって「お兄さん、イケメンですね!」なんて口が裂けても言えない。高校生の時、友人たちともんじゃを食べに行った際、店員さんに「イケメンですね!」と言った友人の首を絞めそうになるくらい、チャラチャラしたやり取りが憎いんです。
「チャラチャラ、ヘラヘラすな!」と怒りの鉄拳制裁を食らわせたいほど、チャラチャラした人間が憎い。しかし、憎めば憎むほど私自身が頑なになり、収拾がつかないのだ!ブヒ!ごちゃごちゃ五月蝿くてすみません。
とにかく、ハニちゃん似のお兄さんは諦めて、スパッと諦めて、しばらくは大人しく過ごすつもり。マスクの下も素敵なことは知っているけど、スパッと諦める。(号泣)
全然スパッとしていないところが気になりますが、スパッと諦めるぜよ。カラットちゃんたち、夜が明けるぜよ。