老けたとか劣化とかじゃなくて、ちゃんと生きてきた人としての凄みを見せたい。凄み、見せたくない?私は超超見せたい。「こいつ、一筋縄ではいかねえな。」と思わせたい。誰に?
「燃えるようなキスをしよう。忘れたくても忘れられないほど。」フーン。悪くないじゃん。喪失の予感がしても、手に入れられないかもしれないと怖じ気づいても欲しがれ。欲しいと思ったら、追いかけずにはいられないよ。
それは望めば望むほど苦しくなるけどね。この苦しみを甘受してこそ人生という気さえしてくるのう。忘れられない人。君にもいるだろうね。勿論私にも。ヒカルパイセンがこんなに率直に求めているにも関わらず、その欲望に真っ向から対峙しない、直視しないでいいのかい?それはむしろ、生まれてきた意味であるとさえも言えるのに。
ごちゃごちゃうるさい?木皿泉も言ってたような気がするけど、背中ってさ、誰かに触れられて初めて背中があることを認識するんだって。つまり、一人で見られる景色には限界があるということ。私は一生、背中がそこにあることを認識出来ないかもしれない。
だからこそ本を読むのだろう。日々が忙しい人は、本なんて読む暇はありません。本なんて立ち止まった人間しか読みません。前へ進めないからこそ、そこに留まり続けるからこそ本を読むのでしょう。忘れられない人のことで胸を痛め、自分以外に関心を向けることがこんなに辛いなんて思わなかった。
もっと深く繋がりたいなんて、そんなことに苦しめられる日が来るなんて思わなかった。求めることは、与えることと同義である。与えるからこそ、求められるんだよね。
あのラストシーンを思い出しただけで泣けて仕方ないけど、誰かと生きるってそういうものだと思う。言ってしまえば、そんなもの。あなたが最後に見たいものは何ですか?
私は好きな人の、大好きな人のそのお顔かな。顔が好き。それの何が悪いんじゃ。顔というものについて考え込む日が多いんだけど、ただの顔だよ。されど、その人そのものだよ。大好き。