「タイタニック」のラブシーンが好きすぎて、観る度に幸せな気分でいたかつての私よ。ませてる?ジャックがこの世で一番好きだったかつての私よ。ませてる?(2回目)
今日は、いつものカフェへハン検の勉強に行って来ました。隣の席に来たサラリーマンがいきなりズーム会議を始めたので、「シェアオフィスへ行け。地獄へ落ちろ。」と念じながら席を移動。やっと落ち着いたと思ったら、変なオタク二人組が隣に来ちゃった。
カフェでも電車でもさ、空いてるのにわざわざ隣に来る人間が多すぎ!オタクたちは、スマホを見ながらわけの分からない盛り上がり方をしていたよ。ちと不気味だったな。可愛いオタクじゃなくて、何となくタチが悪いオタクに見えた。
遊びが変だもん。オタク愛好家としては、許せないジャンルやな。オタク愛好家とは?といったところですが。可愛いオタクと可愛くないオタクがいるんですよ!
さて、今日は沢山勉強したけど、秋の試験に間に合うかなー。いや、間に合わせなきゃならんのですがね。六月の試験を見送ると決めたので、幾分気が楽になりました。勝手に自分を追い込む癖をやめなきゃね。
追い込まれなきゃ頑張れないという思い込みも捨てなきゃね。自分を頑なに、ガチガチに縛っているのは、案外思い込みが多いんだよ。男の子が苦手!というのもただの思い込み。
「いや、めっちゃ男の子好きやん?」というツッコミはやめてもろて。「男の子のことしか考えてないやん?」という鋭い指摘もやめてもろて。「自分には大した能力がない」というのもただの思い込みに過ぎないのかも。
すごく変な話なのですが、アルバイト先でもよく「なんでこんなところにいるの?」と言われることがありました。「こんなところ」とその職場の方が言うのも悲しい話ですが、私が「こんなところでしか働けないと思ったからです。」なんて言うのもおかしいですよね。
というより、そんなことは口が裂けても言えない。私は「こんなことしか出来ない」と思い込み、簡単な仕事ばかり選んでいました。大した就業経験はないですが。自らの職場を「こんなところ」と表現する人は、誰よりも誠実で、誰よりも優しく、末端で奮闘しているように見えました。
大元の組織はひどいものでした。誠実な人間から搾り取り、ギリギリのところで組織を回す、実はもう回っていないのがありありとしていましたが、負担はいつも末端に直撃するんだよね。
私は早々と労働から退き、子ども部屋おばさんとして大切にされています。実はいい年なんですのよ。語学の勉強をして、あわよくばその力を活かせる仕事に就けたら御の字だなー、くらいの緩さ。
この先気が向いたら、社会勉強として働いてみる、というスタンスで生き延びようかなというところです。あまり追い込んだらまた死にますので。人間には向き不向きがあり、私には勉強が向いているということがよく分かりました。
数少ない就業経験で死にかけたので、もう自らを痛めつけなくてもよろしい、という見解に落ち着きました。コロナ禍の生存競争において、人に会わない私のスタンスは、むしろ勝利と呼べるものなのではないかとも思ったり。
負け惜しみか?あの時は完全に負けたと思っても、何かのきっかけでその考えが変わることもあるし、負けたなら負けたなりに生き延びる方法を考えるしかないのです。
以前、私の中高時代の後輩が某新聞社の記者としてニュースに出たことを、恩師がSNSに記しました。それを見た時、記者としてテレビに華々しく出た子だけが大切なんか?と悲しくなったものです。
今なら「先生として嬉しかったんやな。」と受け止められますが、当時、負け組意識の強かった私にとっては屈辱的でした。勝ち組や負け組といった意識も嫌いだけどね。恩師にあんなに目をかけてもらって、期待してもらって送り出されたはずの私がこれ?という結末。
全ては頑張りが足りなかった私と、そのことを悔いて頑張り過ぎた私がもたらした結果に過ぎないんだけどね。こうして自分のことを責め続けるので、いつまで経っても癒されない傷。広がり続ける傷跡よ。
カラット諸君は、あまり自分のことを掘り下げないでください。いくら掘り下げて内省しても、結局は自分の至らないところに目がいくだけなんだ。ある程度は蓋をして、見ないようにして、まだ見ぬ明日に期待するしかなかろうもん。
私もいい加減自分を許したいな。私がまだ許さないからか、心が許されたがっている気さえするよ。昔の思い出が輝いて見えるのは、今が満たされていない証拠。ずっと前に好きだった人を忘れられないのは、まだ誰にも出会っていないからだよ。
「外へ出たらモテまくるぞ~!」と父上に言われて少しその気になる娘。まずは読書サークルとかから始める?何から始めればよいのか分からず、結局家に留まり続ける箱入り娘、がむばれ!