思い出に変わるその日まで

ご無沙汰しています。文系です。何だか呟く気力もなくなり、「この際、SNS断ちをするぜ!」と意気込んでみたものの、結局こうして書いています。えーと、私がブログへ来たのは、宇多田ヒカルパイセンの新曲「PINK BLOOD」が発売されたからなんです。

プレミアム公開だっけ?YouTube解禁をワクワク待ち、待望の新曲にしっかり感激。歌詞がねー、また良いのよね。いつも良いけど、今回もとても素敵。「後悔なんて着こなすだけ。思い出に変わるその日まで。」なんてそんなこと言える?言えちゃいます?言っちゃいます?としっかり感動。ちゃっかりブログタイトルに拝借しました。

さて、SNS断ちを少しして思ったのは、私たちの肥大した自意識、自己顕示欲は、スマホを叩き壊せば意外に済むのではないか、ということです。発信を止めてみたら、思ったより身軽になることに気付きました。誰でも「なんちゃって芸能人」になれるのは、SNSのお陰です。でもそこにあるのは、永遠に満たされない自意識なんです。

私はとりあえず、満たされない何かを埋めるために文章を書き、本を読む。知らないツイッタラーバカ女の雰囲気盛り盛り写真に寄せられる「何でそんなに可愛いの!」といったコメントの類いをうすら寒く眺める。全てが空虚であり、最後には空しさしか残らないことを悟りました。

文句を言いつつ、なぜツイッタラーバカ女のバカツイートを見てしまうのでしょう。「頭悪いな!」という感想しか残らないのに、なぜ覗くのか。それは私自身も満たされない何かを抱えているからでしょう。彼女たちも足りない何かを埋めるために「足りている」ような日常風写真を載せ続けるのかもね。

何か足りない、満足していないということを認めるのは至難の技です。認めてしまったら、それまでの自分自身を肯定できなくなるから。でももうこの際言っちゃいましょう。皆で言っちゃいましょう。「寂しくて堪らないんだ。」と言っちゃえば楽になるぞ。

生きているだけで皆、大なり小なり抑うつ状態でしょうよ。その中でやっぱりより良く生きたいと願うからもがくし、足掻くし、道を探すのでしょう。私がヒカルパイセンに強く惹かれるのは、いつも光を探し続けているように見えるからです。彼女自身も内なる寂しさについて内省しているように見えます。

「何でそんなに可愛いの!」とネット上の知らん人間に言われて、一瞬で満たされてしまうのか?「可愛い!」と言われたいからって必死でポーズ取るなよ。ましてやお手洗いで!場所を考えろや!とぶちギレてしまうのだ。

私が彼女たちに直接「場所を考えろ。」や「頭悪いんか?」と言わないのは、どーでもいいからです。別に彼女たちは私の人生に1ミクロンも関わりがないから。1ミクロンも。(ミクロン推し)でもここでごちゃごちゃ言うのは、私が導き出した結論を皆さんに分かって頂きたいからです。それは「もれなく全員頭が悪い。」ということです。

それ以上でもないし以下でもありません。自己表現の氾濫は、もはや後戻りの出来ないところまで来ています。「なんちゃって芸能人」は日々量産され、量産型の情報を垂れ流し、日本人は均質化されていくのですよ。均質化されたことに気付かないまま。

わざわざ彼女たちに「あんた、バカだね。頭沸いてるね。」と言いに行く義理はありません。でも私のこの無責任な態度こそが、日本人を日本人たらしめているのかもしれません。逆に。私だってそりゃ「悪くないだろう。」って言われたいですよ!でもだからって、必死のパッチでお手洗いで自撮りしたりはしません。

品格ある大人として弁えているつもりです。試着室も光の速さで出ます。弁えているので。「弁えない女」というキャッチフレーズがありましたよね。いやいや、弁えろよ。女性としてではなく、人として弁えろよ。「良き人」として生きていくために考えて下さいよ。

「悪くないだろう。」と言われたいがために必死のパッチであくせくすることこそが「人として弁えていない。」と言えるのではないでしょうか。それに対する「美人さん♪」というコメントも考えてから打ってください。顔出とらんがな!!1ミクロンも!!(ミクロン再び)

以上です。