大好きさ、君が

こんばんは。人生のパイセンからまたまた大量の本を譲り受け、愛を感じる文系です。もはや本棚には収まりきらず、積んでます。韓国風インテリアで今流行っているらしい、「本を積んでインテリアにする(ただし洋書に限る)」というブームを地で行く私。洋書ではないが。

しかも全て読む予定の本という私。洋書を積んでインテリア♪という子女を鼻でせせら笑う私。今日も自分以外の人間をバカだと思う私。うん、通常運転ですな。あれだけバカにしておきながら、実はアルファツイッタラーになりたいのはナイショ!

さて、今日は欲しいものがことごとく欠品で耐え難い一日でした。でもきっとこの物欲は底無し沼だし、所有する欲望に取りつかれているだけなのかもね。先日買ったボーダーのトップスが可愛くて、色違いを買おうと勇んで入店するも、姿が見当たりませぬ!迷ったらゴーだな。ネットでもなくてさ。無念。

その後もことごとく売り切れの嵐。何なん?天中殺か?と意気消沈するも、お部屋に敷くマットを買えたので復活。洋服はもういらないし、とか言いつつまた買うんだろうね。とりあえず今はお部屋のインテリアに凝る!

しかしまあ、部屋の居心地が良すぎて根が生えそうでござる。日常系ツイッタラーをバカにしておきながら、私だってあれやこれや載せている矛盾。インターネットの海にプライベートを放流する矛盾。ま、いいや。矛盾は受け入れます。

最近よく、「朽ち果てることのない物」という物について考えます。物ね。私の部屋にある時計や鏡、ドライフラワーにポストカード、そして本。物は捨てない限り、そこにあり続けるんですよね。捨てても視界から消えるだけ。でも、私は確実にいつか朽ちる。

そんなことを考えながら物を見ていると、私には朽ちる未来が確実に訪れるからこそ、朽ち果てない物に夢を買っているのかもしれないと考えるのです。物を見ていると時々寂しくなってのう。言ってしまえば、ジョンハン青年だっていつかは朽ちてしまう。それが耐え難いのだよ。

私が朽ち果てることは受け入れます。でも、愛する人のその姿は受け入れがたい。それが生きている証左でもあるんだろうけどね。おしゃれツイッタラーのおしゃれ写真を見て空しく思うのは、それは「写真」でしかないからなのかもしれません。

「生きている写真」ではない。カメラがただ単に「自分をよく見られたい」だけの道具であることが透けて見えるのが寂しいね。だから私はダサくても楽しそうな写真が好き。ダサくてもその人の人となりが伺えるダサい一枚が好き。

いついかなる時も、この瞬間はもう戻らない。その瞬間を永久に刻むのが写真です。だからこそ、写真は生きているはずなんです。生きた写真が見たいんです。明治安田生命のCMとかね!自分のためだけに写真を撮るのも、自分のためだけに生きるのも御免だね。