以前、カフェで韓国語の勉強をしていたら、向かいの席に高校生くらいの男女が座りました。席に着いた途端、女の子が鏡を見ながら「今日コンディション悪いわ~。」と言い始めました。「どれどれ…」と思ってチラ見したら、「昨日も今日もないだろうが!」というコンディションの悪さでした。(ただの悪口)
余りにも「今日はコンディションが悪い。」と繰り返すので、「帰って寝ろ。」という感想しかなく、しばらく静観。相手の男の子も気のない返事をするばかりで「だったら一緒にいる意味なくないか?」とぶちギレ。「今日は」と強調することにより、いつもはもっとイケてるという印象操作、今すぐやめなはれ。
なぜ、こんな夜更けにバナナではなく、コンディションガールを思い出したのでしょうか。「今日はコンディションが悪いから許しておくんなんし。」という彼へのメッセージならいじらしいが、もはや半ギレだったのが謎でござる。
「それ以上はやめなはれ。」と思わず言いたくなるような彼女の痛々しさは、何だか現代っ子の生きづらさを見ているようで「そんなに自衛しなくても大丈夫よ。」と言ってあげたくなる春の日でした。
肌の調子にも波はあるだろうし、湿気で髪がうねる日もある。コンディションは日々変化するものであり、何とか折り合いをつけて生きるしかないんや!と喝を入れたい衝動に駆られながら、じっと耐えました。知らんがな速報を失礼しました。
相手に何か言われる前に先回りして防御する、という処世術が身に付いちゃったのかしらね。全く変な世の中ですね。傷つくことも大事だからなー。傷ついたら傷ついた分だけたおやかになれるってもんよ。しかし残念ながら、意地悪な人は想像以上に多いのもまた事実。味方の振りをした敵が一番厄介なんざます。
意地悪を言われるくらいなら、先に自分から降参しておこう、と思う子が増えても仕方ない側面もあると思います。あると思います。(エロ詩吟風)でもその振る舞いは悲しいかな、序列を永遠に固定することになるでしょうな。
己の振る舞い方ひとつで、全てが決まると言っても過言ではない学園生活。実に過酷だと思います。幸い、私が中高生の時はTwitterはあったのかな?あったにせよ全く関わりがなく、ましてやLINEなんてまだ誕生していなかったはず。それは大変有り難いことだったのだと痛感しています。
デジタルネイティブちゃんたちは、心休まる時がないでしょう。SNSの発達により、自己表現の機会が増えるということは、承認欲求に縛られながら生きることと紙一重のように見えるのです。承認欲求を満たすのは、「いいね!」でも「ナイス!」でもありません。それは「自分の話が相手に確実に伝わっている。」という実感です。
大人が真剣に話を聞いてくれた実感がある人間は、自分に足りないものや、むしろ秘めたる情熱や可能性に気付く機会を与えられるものです。だからこそ、もっと大人は子どもの話を真剣に聞くべきです。沢山考えて言葉を発しているのに、その言葉が空しく宙をさまよっていることの多いこと、多いこと。
スーパーで走る回る幼稚園児二人組に母親が「そんなに走り回るなら、もうばあばからのプレゼント渡さないよ。」と冷たく言い放っていました。お母さん、違いますよ。本質が違います。
「ばあさんからのプレゼントを渡さない。」ということを切り札にするのではなく、「なぜスーパーで走り回ってはいけないのか。」ということをきちんと教えるべきでしょう。
幼稚園児は祖母からのプレゼントが貰えなくなるから走るのを止めます。それは教育じゃない。彼女たちは学ぶ機会を母親に奪われているんです。「なぜスーパーで走り回ってはいけないのか。」ということが分からないまま、成長しなければならないんです。
「もう走らないからプレゼント頂戴。」じゃないだろうが!大人がちゃんと子どもに向き合わないから、子どもは次第に話さなくなり、YouTubeばかり見るようになるんです。いくら話したって大人が受け止めないからです。それを「最近の若者は~」と紋切り型に語られても、それは子ども自身が大人の犠牲者だという視点が欠けています。
冒頭の「今日はコンディション悪い!」連発ガールだって、彼女の言葉は一緒にいる男の子にも届きません。今まで誰にも届いていないからこそ、言葉は宙をさまよい続けたままなんです。最近の若者を見ていると、言葉を発してそれを受け止める、受け止めた上で投げ返す、という会話の基本が成立していない子達が多いように感じます。
一方的に話す、それを適当に流す、お互い自分の話したいことだけを話す、適当に盛り上がる、その結果うるさい。もはや最悪じゃん?それを「バカで救いようがない」とぶった斬ることも出来ますが、彼女たちは今まで誰にも真剣に言葉が届いた経験がないからこそ、会話の基礎を学び損ねただけかもしれないのです。
自分の言葉が相手に届いているという感覚は、実に嬉しいものです。相手が若いからと真面目に向き合わないのではなく、誠実に言葉を返してくれる大人たち。その後ろ姿こそが子どもを育てるのではないでしょうか。しかし、大人自身も悪気があって子どもの話を受け流しているのではなく、彼らも余裕がないのでしょう。
もしくは、彼ら自身も誰にも真剣に話を聞いて貰っていないかです。そうでなければ、あんなに面白い子どもたちとの会話を聞き逃せるはずはありません。日本社会は「暇な人間」がもっと増えるべきだと思います。
暇で少しだけお節介というのも大事なポイントです。さてさて、少し熱くななってしもうた!ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。それではおやすみなさい♪