こんばんは。おしゃれツイッタラーが盛大に惚気を垂れ流すも、その数日後にお別れしていて草。よいこの皆は真似しないように。さて、後れ馳せながら、以前少し話題になっていたのかな?安原健太さんのnoteを読みました。
確か「かわいい人にかわいいとは言えない」というようなタイトルのエッセイです。もうね、涙が止まらなくてさ。私、なんでこんなに泣いているんだろうか、と思いながら、ああ、そうか、幼い頃からずっとしんどかったもんね、と妙に腑に落ちました。
そして、とても救われた気がしました。昔から変な男性によく声を掛けられ、「友達になろう。」と言われたこともありました。自分がおかしいのか?とも考えましたが、そんなことはありませんでした。全て、高校生の私と友達になりたがるおっさんが悪いのです。
振り返ると、小学生の頃から変態教師による依怙贔屓に、男子生徒のちょっかい、そして予備校では講師からのイジリ、その全てが苦痛でした。男性が構えば構うほど、女の子たちが離れていきます。
私は彼女たちを意地悪だと思っていましたが、父上によると至って普通、とのこと。彼らに「私に構わないで下さい。」というのも驕りがあるような気がして言えませんでした。
男の子特有?とされるノリ、安原さんのnoteにあるように性的な目で女の子を見て、それを言葉にし、皆で笑う。そのノリが苦痛な男の子たちのしんどさもよく分かります。かつて、性的な目で見られていたのか?ということが分かった時の悲しさ、屈辱感もありました。
思い起こせば、ずっとセクハラ紛いに遭っていたのかもしれません。予備校のおじさん講師は、いつも私のTシャツの柄を話題にし、何となくいやだなーと思っていました。でも、何となく、だからね。この「何となくいや」という思いはずっとあったのです。
「何となく」でも、不快に思ったらそれはもうアウト。縛り上げるべきでしたね。幼い頃は「何となく」でも、時を経て、かなり衝撃的な意味合いを持ってなされていたこともありました。 そのせいか、誰かと深まりたくても、その先には絶対に行けない気がしています。
本当は恋愛もしてみたい。おしゃれツイッタラーが自惚れるような言葉が欲しいのではありません。言葉なんていりません。優しくて、穏やかで、柔らかなまなざしが欲しいだけなのに。まともに男性と関わる自信がありませんが。
男の子というものは、周りが見えなくなるものなのでしょうか。私にばかり構い、ちょっかいを掛けることで、私が孤立する様子は見えていないのでしょうか。私のことを「裏表が激しく、サイテーな性格やな。」と言うのなら構わないで欲しかった。望みすぎかな?
男の子との濃い関わりは小学校まで。中高と女子高に通い、なぜか女子高の男性教師とは全く深まりませんでした。あまり話した記憶もないや。ただ、その分、女性教師とはべったりになり、同性同士の気楽さを知りました。
女子高の同級生たちも、私と先生の関係を微笑ましく見てくれていたので、本当に恵まれていました。しかし、もし私が男性の先生とニコイチになっていたら、事態は甘くなかった気がします。男女が絡むとキツいな。やっぱりやりにくいな。
甘い言葉なんていらないし、プレゼントもいりません。だって、「本当に大切なことはぺらぺら言わない」と思っているから。愛情はふたりの内に交わされるもので、ふたりだけのものである筈です。
「君、かわうぃーねー!」なんて言う人は、人ではありません。猿です。猿にも失礼です。男性特有の悪ノリでも、好きだからするちょっかいでも、相手が不快に思うことは控えるべしと叩き込むべきかな。幼き頃から。
下品な振る舞いが男性の通過儀礼とされているのなら、それは同性にも、そしてその視線を向けられる女性にも失礼なことです。悲しいかな、私自身どこかで歪んでしまったのか、性的に見られることを恐れながら、女性として見られなくなることに恐怖を覚えています。
私自身も荷担していますね。何にと言えばいいのかな。敢えて下品に言うなら「女性を賞味期限のあるもの」として見る空気にでしょうか。性的に見られたくないと思いながら、見られなければ価値がないという白黒思考。この問題は根深いです。
すぐに「ハンサム…!」「優しい…!」「可愛い…!」と感激し、秒で惚れてしまう文系。ただ、残念なことにその優しさは全て「仕事」だからなんですね。仕事上の優しさを全て好意だと受け止めがち。
大丈夫です。「仕事だもんね👔」と受け取ってはいるつもり。そのお陰か誰とも深まりません。セーフ。ぎりぎりセーフ。ぎりぎりでいつも生きていたいからね。
冒頭の話題へ戻ります。安原さんのnoteで号泣した私は、幼き頃の私をようやく癒すことが出来たように思えるのです。「何となくいやだったこと」は決して許されることでないこと。ただ、その思いに飲み込まれず、まだ見ぬ明日を楽しみに生きること。
男性が作り出す下品な空気を苦しく思う男性がいること。派手な交際が武勇伝のように語られることの異常さ。おそらく、彼らも何かを恐れているのです。自らが生み出した空気に飲み込まれることを一番恐れているのは、彼ら自身なのかもしれません。
大丈夫。一人だと思わないで。