狙いを定めて

こんばんは。なんかさ、弟くんが可愛すぎてさ。重いものを背負っている弟くんを抱き締めたくてさ。ドラマ「最愛」を腰を据えて視聴した感想です。前回から参戦しましたのよ。

ドラマや映画では、庇うことが愛だと描かれがちですよね。愛しているから守る、すなわち、庇う。それが愛するということだと。庇い続けた果てに、何が待っているのかは誰も分からない。

ただ、登場人物には生きて欲しいと切実に願います。生きることが愛することだとも思うから。ドラマに感情移入し、「弟きゅん…」となる私に弟がいなくてよかった。溺愛しすぎて、弟きゅんが窒息しかねませんからね。

好きな人がどこかで生きていてくれるだけで救われるじゃん?会えなくても死んでいないならよし、という感覚が私にはあります。KKも愛しているならそっと見守れよ。好きだからこそ、連絡先を渡さずに去るという愛を知らんのか!

死んでしまった人に対して、まだ怒り続けていると言いますか、ふと思い出して「許せない!」となる私。時間がかなり癒してくれたようには思いますが、まだどこかで「どういうつもりやねん。」という感情が燻っています。

大好きな俳優さんでした。くしゃっとした笑顔が魅力的だったな。可愛い弟きゅん役俳優を観た瞬間、「死なないで欲しい。」と強く思いました。役柄もそうだし、彼自身も。

人は最後には必ず死ぬのに、どうして自分で終わりを決めちゃうんだろうね。「可愛い~!」となった瞬間、「死んじゃったらどうしよう。」という縁起でもない不安。

私自身もどうかしているのかもしれません。大切な人の死を恐れすぎていますね。皆、それぞれの大切な人を失いながらも生活していると思うと、時々戦慄します。だからこそ、家族を作るのかもね。

人はずっと一人で生きられるほど強くはないはず。失って、また出会って、また失って。その繰り返しなのかもしれません。自然の摂理に逆らうなよ?と教えてくれた映画「ペット・セメタリー」を思い出して!

大切な人が沢山いることの贅沢さを噛み締める、そんな夜です。映画と言えば、韓国映画「幼い依頼人」を観ました。凄惨な児童虐待と、それに否応なしに向き合わざるを得ない大人たち、そして社会のお話でした。

昔、ある男の子の背中をさすろうとしたら、ビクッとして拒絶されたことがありました。本人いわく、触られるのがだめとのこと。今日の映画を観て、彼のことを思い出しました。

そして、堪らなくいたたまれなくなりました。何もしてあげられなくてごめんね。話してくれたのに、私には何の力もなくてごめんね。本当は抱き締めてあげたかったけど、触られるのがだめなら出来ないよね、と諦めてごめんね。

いつか、誰かが彼のことを抱き締めてあげて欲しい。相手に触れることは、この上ない安らぎだということを分かる日が来て欲しい。世の中には優しい人もいるんだよ。

世の中には優しい人もいる、ということを分かるためには、生き続けなければなりません。そんな人に出会えるまで、どうか、生きてね。