浮世にカムバック

こんばんは。またまた考え事をして寝そびれるの巻。プラトンより考えてる?知らんけど。世の中、主におしゃれツイッタラーに文句を言いがちですが、私自身がごちゃごちゃ言える立場にないと悟りました。

先日、誕生日を迎え、またワンアップしたにも関わらず、何も変わらない日常。私が何もしないから何も変わらないだけさ。真夜中は沈みがちなので一旦休憩。さて、苦しいですが、今までの経緯を振り返りましょう。

就活の波に乗れず、そのまま大学卒業。その後、アルバイト先で体調を崩し戦線離脱、今に至ります。たかがバイトです。たかがバイトにのめり込み、社会から転がり落ちました。

大学生の時、某良品でバイトしていた友人がストレスによる突発性難聴を発症しました。相談を受けた私は「体を壊してまでするバイトなんてない。今すぐ辞めるべき。」と話した記憶があります。

幸い、彼女は私の言葉が通じたのか退職しました。私は就活というシステムが嫌で嫌で大して活動せず、と言うより、出来なくなりました。並行して、第二外国語朝鮮語で演劇をするという活動もありました。

それは私にとって、余りにも苦痛でした。結局一文も覚えられず、本番の日を迎えました。グループ活動なので休むわけにも行かず、とりあえず行ったんだよね~。行ったとて~。行ったとて、何も覚えていないのだから何も喋れず。

かわいそうに。死んだ方がマシという結果に終わりました。更に私を悲しくさせたのは、一言も喋れない私をグループの誰一人として責めなかったことです。優しくされると、不甲斐ない自分が余計に許せなくなり、悲しみが深まりました。

ま、救われたのも事実だけどね。先生が録画していたので、一言も喋れない私が永遠に記録に残っているのも切ない。誰が永遠に共にやねん。昔から出来ないことが多かったな。

例えば部活動🏓ルールがよく分からないという致命的なハンデ。そして試合にも関わらず、全く勝ちに対するこだわりがないというか、殺伐とした試合の中で一人、友好ムードの私。完全に浮いてましたな。

しかし、人数の関係で部長になってしまったため、一試合も勝てないのに休むわけにも行かず。今思えば、休むとか休まないとかではなく、辞めればよかったんだね。人には「退職しな!」と強く言えるのに、自分のことはさっぱり。

休む、という選択肢がなく、試合にしろ劇にしろ、勝てないと分かっていても休めないのだ。だから余計傷付くのかも。中高と試験後は必ず体調不良に見舞われていました。残念ながら?試験前にそういったことがないので、棄権も出来ません。

「勝てぬ戦に息切らし~」という宇多田ヒカルの歌詞もありますが、まさにそうだわな。生真面目なのか「とりあえず行く」という愚直さ。当時の私に棄権もありだと言ってあげたかったな。部活動はルールもよく分からず、何だか気後れする日々。 

部長であるにも関わらず、ずる休みばかりしていました。そのせいで後輩にも舐められ倒し、ますます行けなくなりました。いや、辞めなさいな。「試合は行かなくちゃ。」と真面目なのか不真面目なのかよく分からないポリシーを発揮。

あの頃もきつかったです。自分が悪いから仕方ないと抱え込み、どうにもならなかったね。さて、現在のお話に戻ります。もう一人の大学時代の友人は、おそらく縁故で就職したようです。だからこそ、辞められないらしい。

学生時代はふくよかな子でしたが、久しぶりに再会すると、かなり印象が変わりました。仕事のストレスで胃腸を壊したと聞き、彼女にも「辞めるべき。」という私。

人には言えるけど、自分がその真っ只中にいると、なかなかそこは見えないのでしょう。私自身は、辞めるも辞めないも強制終了でした。その現実から、幸せになることから一歩引いている、いわば諦めています。

例えば、二人でいることとかね。人生において、緩慢な棄権状態にあって久しいです。そろそろカムバしなくちゃ、と思うものの、何も動き出せず。長い長い緩慢な棄権。人にはいくらでも言えます。

「体を壊してまでしなければならない仕事なんてない。」とはいくらでも言えます。でも私は壊れるまで何も分かりませんでした。自分が使い物にならなくなって初めて、全てを理解できた気がします。

人生を棄権する前に出来ることはあるはず。私みたいにならないためにも、もう走れないかもしれないと思ったら、回れ右して下さい。「とりあえず行かなくちゃ。」という頑なさも投げ捨てられる人は強い。

悔しいけど、「出来ないから休む。」という選択を出来る人は強いです。私は部活のずる休みは平気でするくせに、試合を休んだら迷惑がかかると思ったのか、休めませんでした。

ずる休みも毎回心がしくしく痛みましたが、行って後輩にいじめられるよりはマシか?くらいの話でした。中途半端だからこそ、あんなにしんどかったんだと思います。変な正義感や、頑ななポリシーはいらん。

「あの時、死んどけばよかったなー。」という「あの時」をなかなか越えられない私は、長い長い人生を緩やかに、自分のペースで下っていく覚悟をようやく決められそうです。

それと同時に、棄権という選択肢は早い内から持っていて損はないとも思います。ヤバそうなら回れ右して来た道を戻るのも可。どうにもならなくなる前に、速やかに立て直すことに注力すべし。

 

山は登ったら下りるものよ?