DISTANCE

こんばんは。思いは冷めないうちに。鉄は熱いうちに。ふう~、何だか疲れちゃったな。大好きな人の「楽しいことをする」という助言に従い、楽しそうなことをやってみることに。華々しくはないかもしれないけれど、浮世にカムバックしてみます。

いつまで自分を探し続けるのかにゃ?と思ったりもしましたが、好きなことなら頑張れそうな気がする。人の輪に戻れる気がする。インフルエンザワクチンの副作用に悶えながらも、「公衆衛生の鏡!」と自画自賛

コロナワクチンをキメたせいか、インフルワクチンの副作用がきつかったです。頭が割れそうな頭痛に吐き気、と今までにない反応。コロナワクチンの時も副反応全部乗せだったのでね。頑張りなさい、私の細胞たちよ。

それもこれも、細胞たちが頑張っている証なのかもね。幸い、現在は体調も落ち着き、さくさくブログを書いています。さて、LINEなどで旧友の名字が変わっていたり、赤子の写真のプロフィールになっていることにより、周りの人生が動いていることを実感。

私自身は何も変わらないため、近況報告すらできず。高校の卒業式にて、同級生に「文系ちゃんは(東京へ行っても)そのままでおってな。」と言われて「当たり前だろ。バーロー。」と微笑んだりしていたっけ。

その言葉通り、同級生もびっくりするくらいそのままで居続ける文系。ある意味強すぎ。「変わらんといてな。」とか「そのままでおってな。」と言われるということは、よっぽど今が魅力的なのかにゃ?東京に染まられたら困るくらい、魅力のデパートなのかにゃ?と自惚れたりもしました。

そんなに魅力的な瞬間もあったのなら、また社会でもやっていけるのかもしれないな。そう思った次第です。「変わらないでいて欲しい」というのは、むしろ愛の告白に近いような気がしないでもない。モテモテじゃん?

何者にもなれないのに、ノコノコ人には会えない。オオタニさんのような人は、私にとっては眩しすぎるんです。余りにも光輝いているため直視できず、私自身の不甲斐なさを突き付けられているようです。

眩しすぎる罪、とでも言いましょうか。その眩しさゆえ、人知れぬ苦悩もあるでしょう。しかし、その苦悩を思っても、彼はやはり眩しすぎるのです。裏ではBBAを押し退け、電車の座席に座ってほしい。

でも、絶対に座らないんでしょうね。譲るんでしょうね。チックショー!!(小梅太夫)BBAに靴を踏まれたら、「BBAこの野郎!」と言ってほしい。絶対に言わないんでしょうね。「大丈夫です(微笑)」と言うだろうね。知らんけどさ!

とにかく、私の人生は私が何もしないためか、全く変化がないのだ。まずは出来ることからコツコツと始めてみるつもり。出来ることからコツコツと!(きよし師匠だっけ?)動き始めたら、ようやく人生を転がり始められるのかも。 

ビッグボスもひたむきに頑張っているし、私も頑張る。上を、上を、目指すのではなく、下山するような気楽さでね。よく考えてみると、今までのそのそと登ってきた気がする。いつまで登ればいいのやら…と途方に暮れましたが、これからはゆっくり、ゆっくり下りればいいのでしょう。

資格試験に落ちたことも、残念ではありました。残念だったけど、落ちてよかったのかもしれません。沢山勉強した事実は消えないからね。あれだけ必死に取り組みましたが、ネットで知らんおじさんが、資格自体を酷評していました。

それを見た時、「やっと辞められる。」とホッとしたのも事実。知らんおっさんの言うことですが、辞める勇気も必要だと思いました。しがみつくのはやめようね。私自身、「生きているだけで偉い」とは思えないんです。

よく、おしゃれツイッタラーが「生きているだけで偉いよ。なんたらかんたら~」と言っていますが、生きていること自体に偉いも何もないだろう?やはり、生きている意義を見出だせないと、人は腐ると思う。

「いてくれるだけでいい。」と言ってくれる人がいて初めて、生きる理由を見つけられるような気がします。自分で「あたしたち、生きているだけで偉いんじゃ!」とふんぞり返るのは違う。生きるに値する使命を見出だせないとしんどくないかい?

少なくとも、私はそうなんです。「この人が今日も生きていて、仕事をして、お家に帰るんだろうな。」という、ただそれだけのことを噛み締めている時、私は生きている実感があります。これが幸せなら、もっと欲しい。