来世でもきっと出会う

こんにちは。久々のブログですね。スマホ用アプリが使えなくなり、すっかり書く習慣がなくなってしまいました。私のスマホが古く、アプリ適用対象外だって!

こうして色んなことから取り残され、忘れ去られて行くのでしょう。昨夜のニュースで怖い顔をしたおばさんが「もっと便利な世の中を作る。」と息巻いていましたが、もうええ。もう充分です。

電話とメールが出来ればいいです。彼らは際限なく利便性を追い求め、突き進みます。それが仕事だからね。自ら課題を作り、それを解決する。そして新たな課題を勝手に生み出す。もうええ。大して困ってませんから。

最終的には言葉が大切だと思いませんか。大切な人から贈られた言葉こそ、この上ないプレゼントだとは思いませんか。そしてその優しいまなざしこそ、私たちが生きてきた意味を与えてくれる、唯一のものだとは思いませんか。

先述した怖い顔をしたおばさんは、かつて、アメリカで「天才賞」を受賞したそうです。天才賞を貰っても分からないのかな。私たちには言葉が一番必要だということが。

最近は全くSEVENTEENを追えておらず、少しひと休みちう。彼らを好きだった理由のひとつは、言葉に心が宿っているように感じられるところだった気がします。

言葉に魂を込めるには、やはりそれなりに普段から、正しく生きていないといけないはず。私は、言葉には全てを託せないと思っています。私自身、言葉に詰まることが多々あるから。

本当は凄く好きなのに、それを伝えようとして涙ぐんでしまうこともあります。でも、やっぱり、伝えなきゃ伝わらないはず。あまりにも「愛してます。」と言われると、「嘘つけ!」とも思うけどね。

「愛してる。」という言葉の代わりになるものを、私たちは沢山持ち合わせていると思います。「もっと便利に」ということよりも、「もっと感じる」という方向には向かないものかね。

言葉は使わないと鮮度がなくなるし、文章も書かないと鈍ります。もっと言葉にして、文章を紡いで、誰かに伝えたい。そういった、根源的な関係性への欲求。

その欲求に向き合うべきです。SNSの発達は、その欲求を具現化した、最たるものではないでしょうか。でももう充分です。サービスが発達し、万人が使いこなせるようになり、ますます言葉が軽くなってはいまいか。

たとえそれが芸能人相手でも、いくらでも軽い言葉を送れます。受け取る方も、その軽さに気楽さを覚えているかもね。なんて薄っぺらいんだ!なんて寂しい世の中なんだ!

皆がそれで良くても、私は満足できません。その気楽さこそSNSの醍醐味だよね~と言われても、「否!」と答えるでしょう。言葉に責任を持つべし。

私自身、昭和に生まれていたらよかったなー、と思う時が数知れず。何もなかった、実際は何もなかったわけではありませんが、今に比べれば何もない、まっさらな時代に戻りたい。

想像でしかないけれど、昔は言葉の重みが違った気がします。もっと早くに出会いたかったという出会いもあり、なかなか難しいね。それこそ、生きる醍醐味なのかもしれないけど。

嘘じゃないことなど、ひとつでもあれば、それで充分です。幸せならOKです👍