約束はもうしない

こんばんは。夜更けにヒカルパイセンをヘッドフォンで聴いたらあかん。心が震え、気持ちが昂り、寝付けなくなります。連日こんな感じよ。そうは言っても、最近はあまり音楽を聴かなくなっていました。

なんだか気分じゃないの、という具合。少しずつ気力が復活し、やはりヒカルパイセンをエンドレスリピートちう。結局悲しくなって、たまに泣きながら寝てまちゅ。

今日はね、あ、もう昨日か。何だか色々ありました。カレー屋にて、じじい連中の御高説が店内に響き渡るという拷問を受け、すっかりライフは0になりました。

実は、その前にも我が家で一波乱ありましたが、ま、生きてれば色々あるよね。私自身、すぐに傷付いて泣くというこの性質にかなり悩まされるなど。気質?かわいそうにね。

最近は、くだらないというか、あまりに恥ずかしい話を平然と、というより聞いて欲しいかのように話すじじい連中が目につくなー。「あんな風になる前に早く死なないと。」という決意を新たにさせられますな。

ただいま、筒井康隆の『銀齢の果て』を読んでいるところデス。私が品性がないと思う彼らを見て「早く死なないと。」と考えることと、この小説のように、老人たちがバトル・ロワイアルを繰り広げざるを得ない状況の何が違うのかな、なんてことを考える夜更けなり。

ちなみに夜更けで思い出したけど、「こんな夜更けにバナナかよ」は多分観られる気がしないや。WOWOWパイセンがさ、何も言わずに春馬を追悼しているのか分からないけど、最近、多くの出演作を放送している気がする。

しかし春馬よ、君はやっぱり働きすぎだね。私も忘れたくない一心で片っ端から録画したけど、結局何も観れていません。ちょこちょこ挑戦しましたが、やはり泣けてくるので、もう挑戦することすらやめました。

皆さ、あそこが痛いだ、ここが痛いだ、あいつがあーだこーだ言うじゃん。「拡大自殺が〜」とかさ。私にしてみれば、ごちゃごちゃ言えることを有り難いと思え、としか言えん。

死んだら何も言えないんだぞ。人は必ず死ぬのに「いつまでも若々しく」とか「きれいな息で」とかさ。「人は必ず死ぬんだからね。」とメロンパンを齧りながら泣いていた仲里依紗ちゃん、その通りだと思うよ。

里依紗ちゃん主演のNHKドラマ「昨夜のカレー、明日のパン」の核心を突くシーンを久しぶりに観るなり、嗚咽してしまいました。大学生の頃に初めて観た時も「なんて凄いドラマなんだ!」とコーフンしたっけ。ただ、時を経た今の私が観ると、悲しくてもう観られないかも。

ここ数年で、春馬に限らず、悲しくて観られなくなった映画や、読めなくなった本が沢山あります。それが果たして成長なのか、負わなくてもいいはずの痛みを負ってしまった結果なのか、よく分かりません。

「物語」として無邪気に消費できていた頃が懐かしいね。人間には、今後の人生に活きる場合の痛みと、出来るなら一生味わわなくてもいいであろう痛みもあることを知りました。強いて言うならそれが分かったことが収穫かな。

無理にでも収穫を見出さないとやってられんとも言えるか。いや、「負うべき痛み」も「負わなくていい痛み」も本来ないか。痛みは負わないに限る!傷ついて強くなる、とかは過信しないほうが良い。きっと、人はそんなに強くないよ。

私たちは悲しいから歌うんだろうし、悲しいからギターを弾くのかな、なんてね。結局、生きてること自体が悲しいのだ。いや、暗っ!ブログを読んでくれたお方は、今すぐ塩をまいてくださいね。

ポンペイの人々の絶望に比べれば、私は甘っちょろすぎ!と自分に喝。てかさ、オリンピックを中国で開催してること自体おかしいやん?初めから買収されてますやん?そもそもオリンピックって何なんw

ちなみに、陵侑の胸元にいたパンダ、私に似てます。ギズモ、チェブラーシカ、と来て、オリンピックパンダちゃんがそっくりさんに仲間入り。とりあえず、早く人間になりたいのですが。

読んでくれてありがとう。おやすみ🐼